47年前の12月8日の5:00ごろ、未熟児で産まれたらしい

最初の記憶は保育所で鼻の奥に何故かガムを詰めてしまい、ガキの癖に「…一生鼻にガムを詰めて生きるの??」みたいな我ながらアホな思考が印象にあったのかもしれない

(くしゃみしたらとれた)


ウチは昔に民宿をやって居たらしく、貧乏なのに部屋はキッチン含め6部屋あった

ただし2階の3部屋は母がいてすべて汚部屋だった

おれは母と汚い2階が苦手であまり近寄らなかった


ガキの頃おれの面倒をみてくれたのは、じーさまだった

一緒にカブに乗って川でお魚釣るのを見て

帰ってキッチンでお魚を捌くのを見たり

TVが野球の時は拗ねて泣いて


「じーさま、腹減ったーオムライスー」


と言うと、具なしのケチャップライスに薄い卵焼きがのってたのがウチのオムライスだった


そして、おれの中で唯一の家庭の味がこのオムライスしかない。


母と本当の父は離婚していたため、おれは「お父さん」と言う存在を知らなかった


今思えば、母は死ぬまでクソメンヘラでたぶん発達障害とかASDとかあったと思う

いつもヒステリックで怒鳴られて、口癖が

「言うこと聞かなかったら施設入れるよ??」

だった、とても怖かった

(施設とは今でいう児相の事)

おれとの約束をすっぽかしてまでもギャンブル、煙草、酒、男…

そして自分に嫌なことがあれば、おれに癇癪起こして叩かれたり怒鳴られたり…

そして最後に上記の言葉を吐く…


おれはじーさましか頼れなくなった

それなのに小学4年頃、じーさまがおかしくなった


じーさまは日本語が喋れなくなり

うまく歩けなくなり

子供心に「じーさまが狂った!!」と思い、母に大声で伝えた。

しばらくして救急車がきた

じーさまは脳梗塞で入院した


それからは母のネグレクトで地獄だった…

少し飛ばして中1〜2に上がる頃、母が帰って来なくなった

今思えば母は様子がおかしかった

突然ノ〇ビアの勧誘員になったり

(マルチビジネス??)

いつの間にか〇価学会員だったり

(全て長続きしなかった)

そして突然目の前から消えて思ったこと

おこずかいはまともに貰ったためしが無い

キッチンもぐちゃぐちゃ

料理など出来なく、おれは飯が食えなくなった。


飯が無くなったので、誰も家に居なくて

いじめられてて不登校だったおれでも流石に昼からは学校に暫く行ってた。


※今思い返したけど、小学生の高学年になってから時折校長室に呼び出され、何か心理テスト的な絵を書かされていた

中学の養護保育組か普通組か決める為だったのだろう


おれは近くの当時ジャスコのゲーセンが好きだった

観るだけでも暇つぶしにはなったから

そしてある日ウチに居たら電話が鳴った、母だった。

「良かった生きてた、ごはんはツケで〇〇で食べなさい」と言われ切られた


それから中学に行かなくなった

そしてたまに家の中に5000円が置かれていた


母が帰ってきてたのだろう


そしてここからもっと奈落に落ちることになる


ちなみにこの頃のおれは、なにが起きても無感情だったし、人に誤解されやすいし嫌われやすい人格が形成されていた。


えっ待ってこれ下書きできんの??

投稿したら書き直しできるよな??

つかれたんだよー