ロシア人は騎馬民族 (2) | ソ連風来坊のブログ

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台湾出身の一匹狼、旧ソ連陣営と東アジアを報道

今回は行動パターンについて分析して比べます。 
 
「敵に学んで敵を倒す」
モンゴル西征のとき、騎馬軍団の活躍が目立ったが、火薬の破壊力も大きな役割を果たした。最初、火薬の使い方は敵軍だった宋朝より伝わってきたそうだ。

二百数十年間遊牧民に支配されつつある当時のロシアにとって、「タタールの軛(くびき)」という禁固から脱出するには、騎馬軍団に対抗できる戦力が不可欠。その代表的な精鋭はコザック騎兵隊騎馬民族に学んで騎馬軍団を編成して逆襲するわけ。


後にタタール勢力を駆逐して民族解放を成し遂げたイワン雷帝は、さらにコザック騎兵隊の力を借りて東へ拡張、総帥であるイェルマク(Ермак)総督の戦功が輝いた。


あれから又も二百数十年間が過ぎ、海軍力の不足を痛感するピョートル大帝は懸命に西洋の技術を学んだ。積年の努力によって成果を上げると、矛先を西側に向かわせた。バルト海の利権争いを巡って大北方戦争を起こして強敵を倒した。


「グループに入って以上は仲間同士」
モンゴル騎馬軍団の殺戮が凄まじいが、相手が恭順を示したら命を助けてやるし、仲間として働いてもらう。手柄を建てれば上へ抜擢される。

ロシア帝国と後のソ連もやり方が似ている。シベリアと中央アジアを制圧した後は住民たちを仲間として取り扱い、面倒を見ながら出世の機会を与える。


「俘虜への処置」
ウズベキスタン有名な観光名所:青い都サマルカンド、多くの古い建物が美しくて観光客たちを魅了させた:


町の誕生については、こんな説が流れた:


その”建設者”と呼ばれるティムル王朝の創始者ティムル大帝は、各地へ遠征するとき、捕まえたトリコたちを働かせて建てさせたそうだ。

こういう中央アジアの俘虜に対する使い方は、後のソ連にしっかりと引き継がれるようだ。第二次世界大戦の時、ソ連が戦場で捕獲した敵軍を自国の基礎工事で働かせたのが有名だ。中にはドイツ人と日本人が目立ってシベリア抑留者が多かった。

(続く)

 

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