【がんばることについて】

 

最近は、晩酌に発泡酒と焼酎のお茶割りを嗜んでいる。たまにビールを飲むが、安い酒で十分人生を豊かな気持ちになる。

 

時々、社外の人に「努力してきたんですか?」と聞かれる時があるが、今振り返ると自分はそこまで努力した人間ではない。

 

小学生

毎日遊んで、テレビゲームをしている最中には、よく親に「ゲームを早くやめなさい」とたしなめられていた。

 

中学生

塾に行ってはいたが、大して勉強をしなかった。行きたい高校もなかったので、親が適当に選んでくれた私立高校に入学した。

 

高校生

部活に入ろうかと思ったが、高校一年生の夏前くらいにやめてしまった。なぜかこのころから、自分の時間が制限されることについて、嫌な気持ちになる癖がついてしまった。習い事やバイトになると憂鬱になってしまう癖である。悲しいことに今もある。

塾にはいってたが、学びたいことも、行きたい大学もなかったので、適当に自分が受かる大学に入った。

 

大学生

大学三年生くらいに、勉強したいことがあったので、とても勉強した。自分の人生で、唯一主体的にやりたいことを見つけた時期である。

 

大学時代が一番勉強した時期だった気がするが、今思えば自分の意思を持つ時期としてはとても遅いものだなと反省した。最近、数人の高校生の話を聞いたのだが、将来こうなりたいという意思があり、なんて真面目なんだろうかと感動したものだ。

 

仕事に関しても、こういうことをしたいという気持ちで会社を作ったものの、今では社員さんがやりたいことを実現してあげたい、という気持ちばかりである。自分の主体性みたいなものは薄くなってきた。

それでも、なんとなくやっていけるのである。

それは、社員さんががんばってくれているからなんだろうと、彼らにいつも感謝する日々である。社員さんの中には、あまりがんばらない人もいる。しかし、彼らの大切な人生を自分の会社に使ってくれているのだから、なんだかんだ感謝している。

 

昔は、パッション、情熱だ!みたいなことを言っている時期もあったが、そんなものがあってもなくても人生は進むんだなと今は思っている。

ただ、誰かと仕事をするときに情熱があると、相手が親身になって相談に乗ってくれたり、サポートしてくれたりするものである。

そう考えると、感情を前面に出して仕事をするのも悪くない。そうすることで、一体感が増して仕事がうまくいったことが多々ある。

一生懸命がんばって、情熱丸出しになることは、仕事をする上で、うまく進めるためのスパイスみたいなものと考えれば良いかもしれない。

 

Best Regards,

社長