秋の涼しさが分かるようになった。今日は八月の何日だろう。そう佐助が思ってると、戸ががらっと開いた。


 「佐助、出るんだ」


 平蔵がいよいよだと言う顔をしたので佐助は、はぁと息をついて観念した。

 庭には蓆(むしろ)も無く、ただ穴が掘られていた。


 ああ、あそこに俺の首は落ちるのだと妙に納得した。

 そしてそこには弥右衛門が怒りで顔を真っ赤にして立っていた。やっと斬り捨てられるという炎熱の怒りであった。秋の涼風など毛ほども感じていない。


 「佐助ぇ!そこに直れ!」佐助は跪き、そっと首を主人に差し出した。

 何も考えたくない、とっとと斬ってくれという風で。


 弥右衛門は刀を抜いて、一思いに斬りつけた。

 ガキッと刃が骨に当る音がした。しかし首は落ちない。


 ああ天下泰平元禄の世、武士の腕も落ちていたのだ。

 たまらず佐助はぐあああ、と声を挙げる。そこへ二太刀、三太刀と叩き付ける様に刀が落ちる。

 血しぶきが佐助の首から肩へ、そして弥右衛門の腕にも飛び散った。


 ようやく首をねじ落とすような形で首が離れ、穴にごとっと落ちた。さても惨憺たる有様となったのである。


 話を聞いた御畳奉行、朝日文左衛門重章は日記「鸚鵡楼中記」の元禄十二年八月二十九日の日付で、


 「穏便故に頃日まで下僕を切らずして、頃日、遂に切る」と筆を記している。

 さてもあはれ、かくもあはれ。

                   (了)


 参考文献 「元禄御畳奉行の日記ー尾張藩史の見た浮世」 神坂次郎 著

                 

 夏の日、いつものように主人弥右衛門の留守の時、佐助と奥方は睦み合っていた。そこへ急用にて弥右衛門が戻ってきたのだ。


 その音に気付いた佐助は、褌一つで慌てて寝所を飛び出した所を見つかってしまった。

 寝所の中には我が妻の裸があって、激怒した弥右衛門は、


 「佐助ぇ!手打ちにしてくれる。そこへ直れぇ!」と、怒鳴りつけた。

 佐助はわなわなと震えて、その場に這いつくばるばかりであった。


 「これ、弥右衛門殿。今は穏便故、殺生はなりませぬ」


 この年、元禄十二年六月に藩主、徳川綱誠が死去し、家臣も穏便中~喪中~であったのだ。

 弥右衛門は婿養子だったので、義母の言葉には逆らえなかった。


 「わ、分かり申した。穏便故、後日手打ちにしてくれる。平蔵!こいつをどこぞに放り込んでおけ!」


 手にした刀を砕かんが如く握りしめていた弥右衛門は無念そうにそう言った。
 佐助の震えは止まらなかった。


 そうして夏のさなか、じっと閉じ込められている佐助があった。  


 しかしあの時一思いに首を打たれた方が良かった。そう思わずにはいられない。

 どっちにしても自分は死ぬのである。だったらこんな苦しい日々を過ごしていくのに何の意味があるというのだ。

 せいぜい奥方との逢瀬を思い出したり、奉公先での大失態に呆れているであろう両親の顔が浮かんでくるばかりであった。

 それでも生きているからには、変な望みを持ってしまったり、喜んでみたり、苦しんでみたり。

 そんな時など何の得があるってんだ。そうやってあれこれ考えるのが馬鹿馬鹿しいと思った頃に、俺は死んじまうんだろう。

 時は元禄、尾張名古屋城下、御家老稲葉弥右衛門の屋敷である。ここで佐助は草履取りとして使われていた。


 主人が登城して留守のある夜、佐助は奥方に呼ばれた。


 奥方は中年太りで弛んだその腰を揉めと命じた。言われるままに揉んでいたら、彼女がやがて起き上がるや否や佐助に覆いかぶさって来た。

 豊満な乳房に佐助の顔は埋まった。


 「可愛い子」

 奥方はそう言って着物を脱ぎ、佐助もまた裸にされた。

 「なりませぬ」と最初は拒んでいた佐助も、結局はされるがままになっていた。


 そそり立ってしまった男根への快楽に勝てる訳が無かった。

 そうして佐助は主人が留守になると、たびたび奥方に弄ばれるが如く抱かれる事となったのである。


 そんな奥方がここに閉じ込められてるのだから、少しは声の一つもかけに来てくれはしないか、と佐助も微かに自惚れたりもしたが、そんな事はついぞ訪れず、自分がただの戯れに過ぎなかったと思い知らされるのであった。


 代わりに声をかけてきたのは、奥方の母上である。

 「佐助、お前の菩提は弔ってあげますからね」

 そう言われると、やはり手打ちは免れぬと観念するしかない。


 そもそもこうして無為に生き長らえているのは、この母上の一声があったからである。


 

 夏の日差しは今日も照りつけているのだろう。この閉じられた二畳ほどの間にいても汗がたらたらと流れ落ちていく。


 きちんと正座をしたり、あぐらをかいたり、横になったり、閉じ込められた少年は、そうやって一日をただ過ごすのであった。


 そしてこの暑さが失せた時、自分は手打ちになるという事も良く分かっていた。


 「佐助、飯だぞ」同じ下僕の平蔵が食事を運んでくる。親子ほどの年の差がある彼からすると、この十六になるかならぬかの佐助が哀れでならない。とは言えどうにもならず、少しは話をしてやろうと腰を下ろした。


 「今日はまた暑い事だ。何か欲しいものでもないか?」

 「いえ」

 「おめぇもたわけた事をしたもんだ。でもしょうがねぇと言えはしょうがねぇなぁ」

 「・・・」

 「まぁいい夢みたんだからと考えるしかねぇな。何かあったら呼ぶんだぞ」

 「ありがとうございます」


 平蔵が出ていくと、佐助は飯を頬張りながらふと笑った。

 いい夢か、まぁいい夢かな、と。

すっかり更新しないまま、季節は10月になってしまいました。


現在私は入院中ですが、その前から新作を出さなかったですからねぇ。反省です。

本年中に掌編「穏便故」をお届けできたら、と思います。


来年は中国中世の悲しみを凝縮させたエピソードと、ある歴史学者が語った作品

「佩玉」(仮題)をお届けできたら良いな、と思ってます。


首を長くしてお待ちください。