岡本太郎と縄文・芸術の源流
https://youtu.be/xzmhkTZwRE0?si=t1p6OGx2S7Ys8SPb
縄文土器がいかに素晴らしいとしても
それは過去のものだ
我々が今日の現実に処して
それ以上に激しくたくましく生き
その表情を芸術の上に打ち出すのでなければ
何の意味もない
太郎さんは40歳の時に縄文土器を見て感銘していた。
自分は、小学生時代の社会の教科書で縄文土器を見て
すごい形だと思っていた。
出会いの時期がいつになるかにより、感じるものは
異なる。経験値からの解釈。
渦巻き模様が人類最古の装飾だとは知らなかった。
これも小さい頃から好きだった。
おそらく小学生時代の自分は野生に近い感覚があったからだろうと思う。
これが社会に出ていくようになるにつれて、縄文土器も渦巻き模様にも、興味が離れていくようになった。
野生のままだと生き辛いからだろう。
40歳になって感銘を受けたという事は、太郎さんは、それまで、野生にいなかったのかもしれない。
ここで言う野生とは、自然が身近にある生活環境を指している。
太郎さんは、縄文土器からインスピレーションを受け、作品にしていったので、作品を見た時に、エネルギーや暖かい温度を自分が感じたようになったのだろうか。
縄文土器は躍動するエネルギー感がある。
自分には動いているように見える。
そこに古くから続いてきた自然への畏敬の念を
感じたりする。
だから見ていて、ほっとした。
太郎さんは、衝撃的な感銘を受けたんだ。
たぶん
太郎さんは、都会で住んでいたから
狸や猪、鹿や狐、雉が歩いている姿を
見た事がなかったのだろう。
ピカソに対抗するには縄文だと思った?
縄文は、生命の根源を表しているように自分は
思うから、ピカソは、そこに注目していない場合は
対抗する表現になると思うけど
勝ち負けなんて全く意味も関係ない領域になると思うから
そこに注目して自分の表現にしていった太郎さんは
ピカソを既に超える才能を持っていたように
思う。
自然と共に生きていたからわかっていた事が
現代を生きる人には、わかり辛くなっているし
感じられなくなっている。
それを教えてくれた形が縄文土器。
この形を分かれば、地球環境に即して生きる気持ちが
芽生えるかもしれない。
太郎さんが作った太陽の塔は
縄文につながっているわけで
現在とは逆行する思想の形
これから改めて考えていく課題を突き付けている。
保存されて良かったと思う。