学校は親が教育を丸投げする場所になっているのかなと感じた。


学校でいじめられていたから自殺というのは大きな一因ではあるけれど、それをフォロー出来なかったのは親でもある。


自殺は自己完結だと思う。
学校がいれなくても即自殺には繋がらない。親も含めてその子の世界が完結したが故の一つの選択。


両親が何を思ってかはわからないけど遺品の漫画を公開したり被害者としてメディアに出るのは違和感しかない。
受け入れがたい現実を誰がのせいにしたいのかも知れないが一つのモンスターペアレンツの姿に見えてしまう。


それを煽るメディアも改めてしょうもないなぁ。
社会の変化のストレスに耐えられない人たちのが現実逃避のように感じて仕方がない。


実際には見てないが日本の学生運動を思い出す。


日本は何十年も前に通ってきた道を今更歩んでる国と対等に話をしてたらいつまでたっても話は進まない。


もっと余裕を持って日本もそんな時代あったなぁ~と目を細めるような気持ちで付き合っていけたらもう少しうまく行くような気がする。


ちょっと上から目線過ぎですけど(笑)

テレビで「好きってことを何回もいうと価値がなくなる」って意見を言っている人がいた。


高校のときは自分もそんなことを思ってたなぁってな事を懐かしく思い出した。


ただ、懐かしいだけで今は同じような事は思えない。


自分が本気で相手を思った感情を表現する(ぶつける)時って想像以上にエネルギーを消費することだと感じているから。


相手が自分をどういう風に思っているか、その言葉でどう思うか、見えない感情によって結果が左右されるし、正確に相手に伝わるかわからない。

わからないことを怖いと思う感情がある限り、自分が本気であればあるほど、怖くて、本気の言葉なんてぶつけられないと思ってしまう。


それでも自分の事をどうしても知って欲しくて、どうしても出てしまう言葉はエネルギーを持った価値のあるもので回数とかそんな話ではないと、今ではそう思う。

「好きってことを何回もいうと価値がなくなる」ってのはただ怖かったから逃げていただけなのかな。





少なくとも怖いとかエネルギーを使うってのは言葉の価値を感じてないと成り立たない。


社交辞令や、うわべの会話に慣れきって言葉の重さを感じれなくならないように気を付けないといけない。