そらやすです。

 

今日はメルマガに掲載した

全文を

ほぼそのまま載せます。

 

 

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今日のメルマガは

私の個人的出来事についての

備忘録を兼ねた記録です。

 

 

何かお役立ち情報のようなものが

あるわけではなく

ただただ私が

誰かに聞いて欲しくて書くだけの

日記みたいなものです。

 

 

多分、びっくりするくらい

すごく長くなりますのでお許しを。

 

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登録後にお送りした

自己紹介メールにも書きましたが

 

私が5歳の時に

実母は突然いなくなりました。

 

 

で、昨日。

その実母に45年振りに再会しました。

 

 

私が連絡して

名古屋に会いに行ったんです。

 

(会いたかったのは私なんですが

実母が、できれば弟にも会いたい

と言うので

誘ったら弟もついてきました。

弟が何を感じたかはわからないですが

今回は私が感じたことを書きます。)

 

 

実母が45年前いなくなってから

一度も会ったり話したりしたことは

ありませんでしたが

 

 

大学を卒業した頃に一度だけ

手紙をもらって返事を書いたことがあります。

 

(なんて書いたか、ほとんど覚えてませんが

「別に恨んだりなんかしてませんから

気にしないで元気に過ごしてください」

的なそっけないこと書いた気がします)

 

 

で、そのあと弟には

何年かに一度ショートメールで

連絡が来ていたようで。

(実母は弟の電話番号を知ってたんですね)

 

だから今回、弟から実母に連絡してもらって

会うことができたというわけです。

 

 

さて。

実母が出て行った5歳以前の記憶が

私には全くないのです。

 

 

きっとショックすぎて

記憶を抹消したんだと思います。

 

なんで出て行ったかなんて

聞こうとも思わなかったですし

(聞いちゃいけないと思ってたし)

実母が出て行った経緯を知ったのは

大学生の時でした。

 

 

父が書いた本があるのですが

その中に書かれてたんです。

 

 

それを読んで

「へー、そんなことがあったのね」と

思う一方

「まあだけどこれは

お父さん側の意見だから

全部が全部

そうとは限らないんだろうなあ」

 

なんて冷めた部分もありつつ

 

「とはいえ大まかには

きっとそんな感じだったんだろうな」

 

と思った程度でした。

 

 

小学校時代は父子家庭でしたが

父が男手一つで私と弟を

育ててくれてました。

 

 

実家は喫茶店だったので

食事に困ることがなかったのも

幸いだったと思います。

 

 

さらに思春期になったら

義母がやって来て

 

血が繋がってないけど

「お母さん」と呼べる存在ができました。

 

 

その「お母さん」が

私を我が子として

大事に育ててくれたから

「お母さん」からの愛も

受け取ることができたわけです。

 

 

おかげで

普通ではないかもしれませんが

それなりに「人」としては

まあ、よく育ったのではないかと思います。

 

 

記憶にある限り、私は本当に

一度も実母を恨んだことはなく

(小さい頃、寂しいと思ったことは

何回かあったけど)

 

会いたいと思ったこともなかったんです。

(記憶にない頃は

会いたかったのかもしれませんけど)

 

 

それがどうして

会う気になったのかっていうと

 

 

50歳になって人生を振り返って

この先のことを考えた時

 

 

やっぱり

子供を育てたいなあって思って。

 

 

あ、具体的にその予定が

立っているわけでは

全くないんですけどね・・・(笑)

 

 

だけど自分が「親」になると

考えた時にね。

 

 

実母のことから目を背けたまま

知らないままでいるって

なにか、人としての何かが

欠けてる気がしたんです。

 

 

実母がどんな想いで

いなくなったのかとか

本当は何があったのかとか

 

 

実母にだって

言い分はきっとあるのに

 

 

私はそれを

知ろうともして来なかったわけです。

 

 

これまでは本当に

「知る必要なんかない」って

思ってました。

 

 

だけどよく考えてみると

「誤解されたまま」とか

「勝手にそういう事にされたまま」とか

 

それって私自身が

この世で一番嫌いな事なんです。

 

 

それをやってる私が

この先もしかして

やってくるかもしれない我が子に

何を語ろうと

 

それはどこか上っ面な気がして。

 

 

まあ、実母に対して

そう思えるレベルまで私自身が

成熟したってことなのかもしれません。

 

 

それで弟に頼んで

連絡先を聞いて。

 

 

朝の6時に

メッセージしました。

(原文のまま載せます)

 

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おはようございます!

弟から番号聞きました。

靖子です、お久しぶりです、お元気ですか?

 

 

先日、無事50歳になりました。

あまり実感はないですが。

 

お母さんは今おいくつなのでしょうか?

 

 

突然のメッセージですが

お伝えしたいことがいくつかありまして。

 

驚かせたらごめんなさいなのですが

ひとまず簡単に近況報告しますね。

 

 

情報量が多いので、???って

なるかもしれないんですが

受け取ってもらえると嬉しいです。

 

 

まず、実は

私はトランスジェンダーでして

(トランスジェンダーって分かりますか?

簡単に言うと、自分が女性だと

思えないってことです)

 

 

5年ほど前に公表して

それ以降は女性じゃない自分として

暮らしてます。

 

 

その体験をもとに本を出版したり

雑誌にコラム書いたりもしてます。

 

 

あとは、数年前

名前を靖子から靖晃(やすこう)に

変えました。

 

 

でもって8年ほど前からは

18歳下の女性のパートナーと

一緒に暮らしてます。

とてもすてきな子です!

 

 

先日、披露宴パーティーも

開かせてもらいまして

100人くらいの友人、知人が

お祝いに来てくれました。

 

というのが簡単な近況報告です。

 

 

で、50にもなったことだし

もしお母さんが嫌でなければ

会って話してみたいなーと

思ってるのですが、どうでしょうか?

 

娘が息子?みたいになってるので

無理にとは言いません。

 

気が向いたらよろしくお願いします!

 

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これを読んだ弟と

パートナーからは

「いきなり情報量が多すぎる!

お母さんが混乱するでしょ!!!」

 

と言われました(笑)

 

 

でも一気に伝えたほうが

早いかなと思ったのです。

 

そしたら夕方返事が来ました。

 

 

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メール有り難う、

今の家族と話しあって

返事しますので

しばらく待つて下さいお願いします。

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そりゃそうだよな。

お母さんだって家族はいるよなあ。

 

 

ということで待つこと3日。

 

 

「今の家族から

会ってもいいと言われた」と

返事が来ました。

 

 

そんなわけで

45年振りに再会する事になったのです。

 

 

本当は7月に

会う予定だったんですが

私が熱を出しまして。

リスケして昨日になりました。

(なんとお母さんは会う2日前に

膀胱炎になったらしく

病院で薬をもらって

痛みを抑えてきてくれたそうです)

 

 

 

再会した第一印象は

「きれいで明るい人」でした。

72歳にしては若いし

エネルギッシュ。

 

 

今でもまだ現役で、日曜以外

毎日一人で朝は喫茶店、夕方から夜は

スナックのお店をやっているそうで

「80まで働く!」って

言ってました(笑)

 

 

料理が好きで、常連さんも多くて

美味しいらしいです。

(今度パートナー連れて食べに行く、

って約束しました)

 

 

で、聞きたいことはなんでも聞いて

って言われたので

 

まずどうしていなくなったか聞きました。

 

「お父さんからなんにも聞いてないの?」

と言われたので

『聞いたけどお父さんからの話だから

お母さんからも聞かないとわからない』

と答えました。

 

 

で、案の定

お母さんから出てきた話は

お父さんの話とは全く違いました。

 

 

 

子供の私がいうのも

なんですが

 

『それはお母さん・・・

出て行って正解だったよ!』

でした。

 

「あなたたちを連れて行こうとも

思ったけど、お金も何にもないし

持病もあったから一人で育てられる自信が

なかった。

置いていくつもりじゃなかったけど

ごめんね」

 

と言われましたが

 

 

『それは連れて行かなくて

正解だったよおかあさん。』

って言いました。

 

 

だって、お母さんが

置いて行ってくれたおかげで

私は今の私な訳ですからね。

 

 

あとは生まれた時どんなだったのか。

 

 

私がお腹にいる間は

とにかく大切に大切に、って

お母さんが守ってくれたおかげで

 

 

居心地が良過ぎて私はお腹から出るのが

嫌になったみたいで。

 

 

予定日を2週間過ぎても一向に出てこなくて

どんどん育って3860gになりました。

 

 

産むのは

それはもう大変だったそうです。

 

 

生まれたあとも胎盤が残って

お腹の上にお医者さんが乗って

グイグイ押されて

 

 

大量に出血して

その血が全然止まらなくて

2ヶ月ぐらい病院で。

命懸けだった、と聞きました。

 

 

それでも生まれてくるのが本当に楽しみで

やっと生まれてきた私を

お母さんは大切に

育ててくれていたそうです。

 

 

 

肥溜めに落ちて

全身うんこまみれで帰ってきたり

 

カップラーメンを自分で作って

ひっくり返して両足に大火傷をしたり

 

ガラスに頭から突っ込んで

前歯がめり込んで頭から大出血したり

 

明け方勝手に弟を連れて

こっそり家を出て外を徘徊

知らないおじさん

「ご飯を食べさせてもらってない」と言って

(明け方だったから

まだ今日はご飯食べてない

という意味でいったんだと思う

覚えてないけど)

ご飯をご馳走になって

家まで連れてきてくれた

その知らないおじさんから

「こんな小さい子に

ご飯も食べさせないなんて

親は何してるんだ!」

と怒られたり

 

 

寒いからかわいそうだと

掘り炬燵に弟を引きずり込んで

練炭で大火傷させたり

 

 

いろんなことを

やらかす子だったそうですが。

 

 

全てお母さんが
助けてくれたらしいです。

 

 

残念なことに私はそれらを

全く覚えてないのですが・・・。

 

 

生まれる前からも

生まれてからも

どんだけ迷惑かけてたんだ私は。

 

覚えてないけど。

 

 

いっぱい話してお別れするときに

 

「あの日から

あなたたちのこと忘れたことは

1日もなかったよ。

いなくなってごめんね」

って言って泣いてました。

 

 

だから私は

 

「私を守ってくれて

産んでくれてありがとう。

それでもう全部

お母さんからもらったからいいんだよ」

 

って伝えました。

 

 

「今度はパートナーさんも連れて

一緒にご飯食べにおいで」

 

って言われたので、連れて行きます。

 

 

私はお母さんのご飯が

大好きだったらしいので

食べたら味を思い出すんでしょうかね。

 

楽しみです。

 

 

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宣言通りの

超大作になりましたが

ここまで読んでくださった方へ

 

 

最後にお伝えしたいのは

 

 

「お母さん」はもう、産んだら

それで十分役割は果たしてるってこと。

 

 

例えそのあと

育てられなかったとしても

時に手を挙げてしまったり

放っておいたりすることが

あったとしても

 

 

でも文字通り

命をかけて体を削って

産み出したっていう事実は

なくならないから。

 

だからね。

 

 

もしも今我が子に

何もしてあげられてない、とか

もっとちゃんとお母さんらしいこと

子供にしてあげなきゃとか思ってる

お母さんがいたらね。

 

 

「いいよ、なんもしなくて」

って言いたいです。

 

なんかねえ・・・

 

 

お母さんには

ただ幸せでいてほしいです。

笑顔で。楽しそうに。

ただ、それだけでいいです。

 

 

で、ニコニコしながら

「私が世界で一番

あなたを愛してるからね」って

言っててくれたらいいです。

 

あとは勝手に育つから。

 

 

何があっても「愛してる」って

言ってくれればいいです。

 

 

成績悪くても。

周りのペースについていけなくても。

お調子者でイタズラしても。

 

もし肥溜めに落ちても。

 

 

怒ってもいいから

それでも

「このバカ!世界一愛してるよ!」って

言ってくれればいいです。

 

 

(もちろん産んでないお母さんも

育てる中でそれを伝えていくことは

できますからね!

それを義母にもらったから私は

愛されることを

知っているんですからね!)

 

 

お母さん。

 

世界中のお母さん。

 

 

まだ気づいていない

まだ言えない子どもたちに

代わって言います。

 

 

命をくれてありがとう。

愛をくれてありがとう。

 

 

どうか幸せでいてください。

わたしたちは

それが一番嬉しいのです。

 

 

大好きです。