「ソラのおくりもの」と私2 | ソラのおくりもの

ソラのおくりもの

大切なのは「今を生きる」こと。
そらママが日頃感じていることや
楽しいできごとをつぶやきます。

続きです。



八年の間に本当にいろんな事がありました。


店をオープンしたのが2005年10月28日。


ひっそりとオープンしました。


内心お客様が来たらどうしよう?とか、味付け、接客等すべてが不安だらけでした。


それでも友人からお祝いの花がたくさん届きました。


周りの方達は花屋さんだと思ったり、


「宇宙の贈り物」という名前からいかがわしい店だと勘違いされました。


たった8年前なのですが  「宇宙」  というネーミングはスピリチュアルでした。


私としては「宇宙(そら)」は我が家のペット犬の名前なのですが…


(そら)からたくさんの「愛」のプレゼントを頂いたのでこの名前。



翌年の1月末。同居している義母が脳梗塞を起こし入院。


とても大変でした。


丸二ヶ月、店と家と病院を駆け回りました。


この時私は何を思ったか……


義母が倒れたのは私が原因ではないだろうかと…


私と義母は俗に言う「嫁姑」の間柄。


20年位私は義母に心を閉ざしてきました。


心を閉ざすと言うことは会話がほとんどない状態です。


こんな状況なのでもちろん店を始めることを伝えたのは2日前。


心を閉ざした私に義母はどれだけ気を遣い、遠慮し…。


一緒に生活しながら義母の気持ちを感じても知らんぷり。


義母は私との関係の事でストレスとなり倒れた!


そう思いました。


泣きました。


ごめんなさいと 泣きました。


義母は後遺症として左半身麻痺。言葉も少なくなりました。


同居始めた頃のいろいろな行き違いがすべて流れました。


自分の傲慢さに気づきました。


「許す」とは自分を許すことだと知りました。


自分を認めて自分を許さないと他人を許せないし愛せない。


とても大きな学びでした。


と言うことで、義母のお世話をするのが楽しかった。


ご飯をこぼしながら一時間かかろうが平気でした。


下の世話も全く平気でした。


義母が亡くなるまでの約3年笑って暮らせた事に感謝してます。


おかあさん、ありがとうございます。