数ヶ月前に、息子に伝えた事がある。

「あのさぁ、人っていつどんな理由で人生を終えるか判らないじゃない?」

「うん」

「コレは私の希望であって、どうするかは君が自分の意思で行動してくれれば良いのだけれど。私が誰かの過失や何かに巻き込まれて命を落としても、『その誰かや何か』を恨まないで欲しいんだよ」
「例えば無謀運転とか、誰かを傷付けたかったとか、頭上から鉄骨が落ちて来たとかのどんな理由でも」

「え〜‼︎無謀運転とか、傷付けたかったは許せんやろ⁉︎だからと言って鉄骨落下が許せる訳じゃ無いけど😤」


「許してあげてとは言ってないから☝️😅恨まないで欲しいだけだから。相手の過失なら賠償金はしっかり頂いた方が良いと思う💡」

「どんな原因で人生を終えても元には戻せないし、それは天災でも人災でも同じ事だから」


「ソコは貰っていいんだ😅」(私「当たり前🖐️」)

「それ鬼滅の無惨のセリフみたいじゃん😓」


「あ〜言ってたねぇ。まぁ、ある意味真理ではあるね。人には感情があるから中々難しいのだろうけれど」

「人は間違えるし、誰かを傷付けたかった人は人格形成の期間に、ずっと心身共に傷付けられて誰からも守られなかった環境だったかもしれないから」


「その環境でも犯罪を犯さない人は沢山いるじゃん」



「確かに。ただその環境でも道を踏み外さなかった人の側には、親ではなくても支えてくれる誰かが居たのだと思うんだよね。私の父が人生を終えた後に母と二人の生活の中で私には親友のお母さんがいてくれた様に」

「ま🖐️私の希望を伝えただけだし、忘れてくれても全然構わないし、その時の君の価値観で決めた判断を尊重するし『え〜‼︎ちゃんと伝えたじゃん‼︎』って化けて出ないから安心して✌️」



「化けて出たら塩撒き散らす💪🤣」


「出ないって言ってんじゃん🤣」


と云う展開でした。


それにしても………😓

どうしていつも親子の(結構シリアスな)会話が最後はお笑いモードになるんだろう😅



まっ、いっか♪😌