この国の政治を司る一番上にいる方は
原発は無くさない と言っているらしい。
三年前。とても大きな出来事があった。
地震。津波。
たくさんの
本当にたくさんのたくさんのものが失われた。
痛ましい天災 … 。
誤解を恐れずに言うと
わたしは天災は受け入れるしかないと思っている。
わたしたちは地球の一部であり
地球上の全てのものは
地球の細胞のひとつとして存在している。
全ての存在が、恩恵と畏れを受け入れながら
地球の営みに沿って生きる。
そして循環する。
太古の昔から、繰り返し繰り返し …
ただ在るがまま そう在るもの。
これは、あくまでわたしの世界観
わたし自身の宇宙や地球との関わり方、考えであって
被災されたすべての命・土地、
その関係者の方々の痛みを思い、悼む気持ちとは全く別の話。
ー いつも わたしの記事の下にある
『 忘れてないよ 』の言葉は、あの震災以降からのもの。
どんなに笑っていても、幸せに生きていても
絶対に忘れない。
最初はそういう思いだった。
今は入れ替わって
『 忘れないからこそ、笑うし 幸せに生きる 』
そう思っている。
…
けれど、原発は。
原発事故。
あれこそ、『 犠牲 』以外の何ものでもない。
これほどの多くの
あまりに大きすぎる犠牲を払って
それでも、原発を廃止しない選択をする … 。
わたしにはとても理解できない。
原発がなければ
エネルギーを賄い切れない ?
世界ではもうとうに
原発に変わるエネルギーを主体にし始めている。
世界屈指の高い技術力を持つ日本に
それが取り入れられないわけはない。
『しない』選択をしているだけ。
きっと、そうしたい「 理由 」があるのでしょう。
もしも、どうしても。
本当に何をしても賄い切れないのであるなら
その中でやってゆけばいいだけのこと。
暑い夏を味わってこそ、秋の後の冬に耐えられるように。
厳しい冬を越え春を迎え、夏を乗り切れるように … 。
そんなふうに、人間のからだはできている。
あまりに便利さや快適さを求め過ぎることは
皮肉な不調和と不快を生み出し、蝕んでゆく。
世界だって、おんなじ。
少し、原点に立ち返ればいい。
ほんの少し、自然と調和してみればいい。
原始の昔の生活には戻れなくても
大都会江戸の豊かな循環を思い起こしてみればいい。
日本中の意識が、ほんの少しずつ変わるだけで叶う
とても大きなものがあるはずだと、わたしは思う。
厳しくも美しく豊かな自然を受け入れ、愛し 敬いながら
その自然の彩そのもののような 美しく豊かな文化と
精神世界を育んできたこの国なのだから。
この国は今、やり直す機会を与えられている。
あまりに多くの犠牲の上に
それを示されている … 。
そう感じます。
まだ足りないのでしょうか ?
まだ … 必要なのでしょうか。
怒っているのか って ?
ええ。怒っています。
エゴとか正義とか自己投影とか
理屈なんてそんなものはどうでもいい。
ただ単純に、純粋に
地球の一部として
わたしは怒っているのです。
そして信じているのです。
この国が本来持っている尊い美しさを。
これに関しては祈ったりしません。
力強く「思う」のです。
゚・*:.。..。.:*・゚゚ 忘れないよ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・
* 被災された方、尊い命を亡くされた方々の魂の安らぎと
世界の平和を心からお祈り申し上げます