3月11日 | soraharuruの まにまに 雑記帳

soraharuruの まにまに 雑記帳

*
日々のまにまに。空のまにまに。雨のまにまに。
だれかを想うまにまに …


いろんな隨に ふとした間に間に …
きらきらひかる摩仁たちを 思いつくまま綴っています







この国の政治を司る一番上にいる方は
原発は無くさない と言っているらしい。







三年前。とても大きな出来事があった。

地震。津波。

たくさんの
本当にたくさんのたくさんのものが失われた。

痛ましい天災 … 。







誤解を恐れずに言うと
わたしは天災は受け入れるしかないと思っている。



わたしたちは地球の一部であり
地球上の全てのものは
地球の細胞のひとつとして存在している。

全ての存在が、恩恵と畏れを受け入れながら
地球の営みに沿って生きる。
そして循環する。


太古の昔から、繰り返し繰り返し …
ただ在るがまま そう在るもの。





これは、あくまでわたしの世界観
わたし自身の宇宙や地球との関わり方、考えであって
被災されたすべての命・土地、
その関係者の方々の痛みを思い、悼む気持ちとは全く別の話。




 ー いつも わたしの記事の下にある
  『 忘れてないよ 』の言葉は、あの震災以降からのもの。

  どんなに笑っていても、幸せに生きていても
  絶対に忘れない。

  最初はそういう思いだった。


  今は入れ替わって
  『 忘れないからこそ、笑うし 幸せに生きる 』

  そう思っている。












けれど、原発は。





原発事故。
あれこそ、『 犠牲 』以外の何ものでもない。



これほどの多くの
あまりに大きすぎる犠牲を払って
それでも、原発を廃止しない選択をする … 。

わたしにはとても理解できない。





原発がなければ
エネルギーを賄い切れない ?



世界ではもうとうに
原発に変わるエネルギーを主体にし始めている。

世界屈指の高い技術力を持つ日本に
それが取り入れられないわけはない。

『しない』選択をしているだけ。
きっと、そうしたい「 理由 」があるのでしょう。






もしも、どうしても。

本当に何をしても賄い切れないのであるなら
その中でやってゆけばいいだけのこと。







暑い夏を味わってこそ、秋の後の冬に耐えられるように。
厳しい冬を越え春を迎え、夏を乗り切れるように … 。
そんなふうに、人間のからだはできている。

あまりに便利さや快適さを求め過ぎることは
皮肉な不調和と不快を生み出し、蝕んでゆく。


世界だって、おんなじ。





少し、原点に立ち返ればいい。
ほんの少し、自然と調和してみればいい。

原始の昔の生活には戻れなくても
大都会江戸の豊かな循環を思い起こしてみればいい。


日本中の意識が、ほんの少しずつ変わるだけで叶う
とても大きなものがあるはずだと、わたしは思う。

厳しくも美しく豊かな自然を受け入れ、愛し 敬いながら
その自然の彩そのもののような 美しく豊かな文化と
精神世界を育んできたこの国なのだから。









この国は今、やり直す機会を与えられている。

あまりに多くの犠牲の上に
それを示されている … 。


そう感じます。







まだ足りないのでしょうか ?

まだ … 必要なのでしょうか。










怒っているのか って ?




ええ。怒っています。


エゴとか正義とか自己投影とか
理屈なんてそんなものはどうでもいい。

ただ単純に、純粋に
地球の一部として
わたしは怒っているのです。





そして信じているのです。

この国が本来持っている尊い美しさを。




これに関しては祈ったりしません。

力強く「思う」のです。





























  ゚・*:.。..。.:*・゚゚  忘れないよ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・













* 被災された方、尊い命を亡くされた方々の魂の安らぎと

  世界の平和を心からお祈り申し上げます