先週の女王の教室を観た。


教育委員会のホームページに恐怖授業をリークされ、窮地に陥った阿久津真矢。


委員が調査にやってきた日、生徒の一人が、先生がほんとうは生徒思いのいい先生なのか試すため、


勉強って、なんのためにするんですか。と質問する。


あなたたち、まだそんなこともわからないの。と真矢。


勉強は、いい大学に入ったり、いい会社に就職するためにするのではないのよ。

勉強は、したいからするの。

この世に生きていれば、自分の知らないことはほんとうにたくさんある。それを、学んで、知り続けるという好奇心がなかったら、そんな人間は、ほんとうに生きているとは言わないの。


そして、教師再教育センターに行かされた過去について、なぜ、生徒を痛めつけたのかと聞かれ、こう答える。


その生徒が、「どうして、人を殺してはいけないのか」とわたしに聞いたからよ。

人がひとり死んだら、家族や、友達や、その人を取り巻くまわりの人間は、想像もできないくらい辛い思いをするの。人がひとりいなくなるということは、そういう重荷を一生背負うということよ。だから、人を殺してはいけないの。

その子はいじめっ子で、たくさんのまわりの人間をいじめて、ある子どもを、自殺未遂にまで追いやったの。それなのにそれをまったく悪いことだと思わずに、わたしに、どうして、人を殺すのはいけないのかと聞いたのよ。その子は、知っていたのでしょうね。そういう質問をすれば、大人が何も答えられないことを。だからわたしは、その子に痛みを教えたの。自分以外の人間もみんな、ひどいことをされれば傷つくということを、誰でも、ひとりひとりに輝かしい未来があって、それを勝手に切り取ったり、取り上げたりすることは誰にも出来ないのだということを、その子どもに、教えたのよ。


真矢のやったことは、あまり、褒められたことではないかもしれない。痛みを教えるためにひとに刃を向けるということは、本当の意味では解決にはなりえないことだから。


しかしそれでも、あたしは思った。


ほんとうにひとにそれを教えようとして向けられる刃なら、その刃で、向けた本人も血を流すのだということを。


ながいこと、なんだかなあ、と思いながら見守ってきたドラマだったが、この台詞にわたしは、ながいこと、言葉が出なかった。