私が1歳くらいの写真に
父に抱かれた私が
しだいに泣き顔に変わっていく

ぺらぺら漫画の実写版のような
3枚シリーズが残っています。

 

最初の一枚は
明らかに不機嫌そうな顔。

 

二枚目で泣きはじめ

 

三枚目では
号泣➕身を乗り出して

写真を写している母に

腕を伸ばしている写真です。

 

「お隣のおじさんが

よくかわいがってくれたんだけど

だっこされると泣いちゃったのよ」

「男の人が苦手だったみたいね」

 

そんなふうに

母に何度も聞かされました。

 

近所のおじさんはともかく
父のこともこわがっていたのでしょうか。

 

 

 

自分自身の記憶の中で

「父がこわい」

とはっきりと感じたのは
小学生の頃でしょうか。

 

おてんばで
いつも外を走り回っていて

泥だらけになって帰ってきたり


服をすぐに汚したりすると

「ガサツだ」と
よく怒られていました。

 

その言葉の意味を
当時どこまで

理解していたのかはわかりませんが

 

自分は
あまりよくないことをしているらしい

という感覚は
なんとなく持っていました。

 

家で仕事をすることが多く
神経質だった父にとって

 

いつもごそごそと動き回っている私は
落ち着かない存在だったのでしょう。

 

静かにしていればいい場面で
音を立ててしまったり

考える前に動いてしまったり。

 

今思えば
父のペースとは

まったく合っていなかったのだと思います。

 

当時の私は

あ、こういうことをすると怒られるんだ

そうやって
一つひとつ覚えていくのみでした。

 

なぜ怒られるのか
何がいけないのか

深く考えることはなく

 

ただ
そういうルールなのだと

受け止めていました。

 

それが理不尽だと
思うこともありませんでした。

 

怒られることも含めて
それが世界の「当たり前」だったからです。

 

 

 

そして

今の自分にとっての

「当たり前」は

 

そうやって

怒られたり

ほめられたり

おかしいと言われたりして

 

悲しんだり

よろこんだり

理不尽に感じたりしながら

 

いつの間にか

自分のものになってしまった

価値観と
 

今の私という人間を

形作ってきたのでしょう。