【分かり合わないために言葉はある】
言葉を尽くす
何の為に?
言葉は言語が違えば
通じないし
使う人が違う文脈で
生きていると
同じ表現も別な意味を持つ
同じ場所にいて
同じ景色をみても
浮かぶ言葉
表現する言葉は
人によって違う
そんな精度の低いものを
なぜわたし達は使い
発展させたのか
それは分かり合わない為
多様性を保つ為
多様性はわたし達が生き延びてきた
戦略
ところが一方で
わたし達は一体感を求めたがる
違いを認めようと言いながら
違いを認める事は
そこに差別化が生じ
順位が生じるから
一体感はそれを一時的に解決する
ただし一時的に
言葉はそれをさせない
いかに言葉を尽くしても
全く同じ表現を発想しないのは
お互いの差異が消えないから
一体感は危険
理解を止めるから
理を解くことの難しさからの逃避だから
分かり合う、は幻想
別々のものを分けて合わせるなんて
パズルみたいにキレイに合うはずないの
言葉はそれを気づかせる
分かり合わないままで
わたし達は共有できる
分かり合わないままで
わたし達は同じ方角を向く
分かり合わないままで
わたし達は一緒に生きる