通っている大学のキャンパスを歩くとき、足元に散らばっているもみじを、人は、滑るから危険と捉え(或いは全く気にせず)、綺麗な、まだ枝に残っているもみじを眺めている。綺麗 綺麗
一度枝から離れ、地に落ちた瞬間、人はもうそのもみじに美しさがないようかに、もみじの上を歩く。何か思いさせるようにある光景を、僕は、意味を生やして生きていく。
今日は、また、いい日とは、到底呼べないような日を過ごしたと思う。小テストは予め勉強していた範囲にはない問題を出され、グループワークは自分以外、誰も話そうとしない。しかも、知らぬ人に貸したペンは、感謝の言葉もなしに、他人を経由して返される始末。まぁ、そんなのが多分普通なんだろう、そうだろう。普通普通
たまによくある、結婚願望が欲しいか、と言う、cornyな話題を、あまりよく分からない人たちと話していた。
僕は結婚願望はない方だと、そして、子供も欲しくない方だと、思う。この見た目で幸せだったことはあるのか?そう考えるとき、自分の子供、捉え方としては自分の一部のような、息をしているモノに、自分が感じてきたことを感じてもらいたくない、と言う、自分勝手な気持ちが前のめりに剥け出してくる。
なんせ、守る者がいる人生が、世の中で一番大変であると思う。その縛りのような現実の中では生きたくない、と思う。もし、結婚するとしたら、それは、まぁ頗る熱い、前にも一回だけ経験したことある、心臓に刃物を刺されたような恋をしたのだろう。
後々考えると、こんな顔と言える権利は僕にあるのか?そう考えてしまう。権利
少し眠い。フランツカフカの本を読むとしよう。彼の本は、僕にとってはあまりはっきりしない、眠れない夜に描いた物語だと思うが、これを読むと、もっと眠くなってくる。
明日がまた来る