こんにちは。
空町ふゆこです。
近所の田んぼです。
自然は美しいですね![]()
今日は同職種の人から仕事の相談をされました。
彼女は3年目。
一生懸命に努力していて、腕もかなりあがってきたなあーと、私は感じている方です。
なのに、彼女は、
「自分ができているのかできていないのかまったくわからない」
と言います。
謙遜かな?と思っていましたが、どうにも表情が暗いのです。
仕事ぶりを聴いてみると、ちゃんとできているのです。
素直にそれを認めればいいのですが、彼女は「自分はダメだ」との思いが強く、また、とても孤独な目をしていました。
もう少し深く話を聞いてみたら、職場で仕事ぶりを激しく責められ、何も言えなかったのだとのこと。
もう2ヶ月も前のことなのに、彼女はまだ呆然とその攻撃のダメージの渦の中にいて、自分を客観的に見ることができていないのです。
何をどう責められたのか尋ねてみました。
本当にそこまで追い詰められるだけのミスがあったのか。
しかし、いくら聞いても見当たらず、私が考えるに、とても不当なものでした。
彼女は「理不尽だ」と怒ってもよいのに、いまだにそんな感情は生まれず、ひたすら「そんなことを言われる自分が悪い」と自分を攻撃しているのです。
代わりに私が腹を立ててしまったのですが・・・
。
彼女は、もともと人が良いのかもしれませんし、悪口はいけないと教えられて育ったのかもしれません。
とても傷ついているのに、彼女は微塵も相手への「怒り」を出しません。
私はとてもか考えさせられました。
素直で、従順であることが常に良いとは限りません。
自分のいたらなさを認めて受け入れることはとても大事ですが、必要以上に自分を責め続けるのは違うのです。
他人からの攻撃にプラスして自分までも自分を攻撃したら、どうなってしまうのでしょう?
メンタルヘルスの面でももちろんよくはないですし、仕事の面でもよくはないのです。
客観的な見方や判断ができなくなるからです。
他人からの攻撃や怒りを受けることは、多かれ少なかれあるでしょう。
でも、それを必要以上に受けすぎない技術も必要です。
人をそこまで攻撃していい理由なんて、仕事上はないと思います。
仕事で必要なのは、攻撃ではなく、話し合いや交渉、調整です。
間違っても感情的な攻撃ではないのです。
人を叱ったり注意するときは、そこに愛がなければただただ人を傷つけるだけになってしまいます。
だからこそ、苦言をいうには覚悟がいるのです。
その場では、彼女がこれ以上自分を攻撃せず、少しずつ自分のできているところ、素晴らしいところを肯定していけるよう、具体的に話をしてみました。
素直=怒らない
ではないのです。
ものごとしっかりと多角的に見た上で、怒りを持つべきときは持つ。
それがないと、気づけないんですよね。
問題の所在に。
怒りってはしたないものじゃない。
もちろん、出しまくりでは困りますが
、違和感やいかりはものごとを判断するセンサーのような役目をもっていると私は思います。
どうか、それをなくさないでくださいね。
