こんにちは。

空町ふゆこです。

 

日大アメフト部のタックル問題で、日大の父母会が立ち上がったという記事を見ました。子どもを守ってもらえないと思ったから、自分らがやらなければ・・・とのことだったそうですね。

 

この、「守ってもらえるか否か」って、仕事をする上でもとても重要です。

 

自分の上司や組織が「最終的に自分を守ってくれる」と信頼できていれば、社員は思い切った挑戦やたゆまぬ努力をすることができます。それは、ひいては組織の利益につながります。

 

しかし、いざという時に守ってもらえない環境にいると、どんなに優秀な人でもパフォーマンスをあげることは怖くてできない。そしてそれは、組織にとって損失となっていくわけです。

 

 

いざという時になってはじめて「守ってもらえないんだ・・」と気づくのは悲劇的ですが、日頃からそれを感じながら働くのも、1人で綱渡りをしているような怖さを抱えての毎日になってしまいます。

 

 

教育の場であれ、職場であれ、上に位置する者の役目というのは、「いざとなったら守るから全力で頑張りなさい」という環境を創出することだと思います。

 

 

でも、この「守る」というのはとても重い。

責任を負うよ、ということだから。

 

「責任」というものに向き合って、自分に力をつけ、腹をくくる必要があります。中途半端な気持ちではできないことでしょう。でも、だからこそ、腹をくくった強さみたいなものがにじみ出て、それは部下の安心へとつながっていくのです。

 

守る、守られる。

 

お互いが高い信頼と覚悟で結ばれた時、それははじめて本当の意味で成立するのでしょう。