こんにちは。
空町ふゆこです。
昨日は母の日でしたね。
皆さん、どんな母の日でしたか?
写真:pixaday
私は遠くで暮らす母に電話をしました。
母は案の定、いつものように、近くにいる家族への愚痴を話していました。
母は自分が与えるよりも多くのことを他人に求めてしまい、それが叶えられないと嘆く、というタイプで、それは家族にも他人にもそうなのです。
自分以外の人間は決して自分の思い通りにはならないのに。
私は小さい頃からそういう姿を見てきたので、こども心に「自分から苦しい思いを作ってしまうことは果てしなく苦しいことだ」と感じてきました。
思い通りになると思ってしまうこと自体が傲慢ではないかと思いますが、そこに縛られたままだと苦しいですよね。
80歳を超えた今もその概念を削ぎ落とせずに苦しむを母を切なく思いながら、自分がこの年齢になった頃は心穏やかにシンプルに過ごしていたい、と思いました。
日頃は明るく、朗らかな良さもある母。
写真:pixaday
健康で特技もあり、ありがたいことにご近所からもよくしていただいています。
特技分野では「先生」と慕われていて、私から見れば充実感もありそうな状況なのです。
なのに、母は、そこには目が向かない。
「ある」「もたらされている」ものには目をむけず、「足りていない」ものにばかり気持ちがいってしまうんですね。
遠くにいる私ができることは少ないけれど、老いた親を叱ったり、説いたりは誰にとっても得策ではないと思い、受話器で話を聴いています。
そんな環境にいたからか、私は早くから過剰に期待することも求めすぎることもせずに生きてきたので、母とは生き方がずいぶん違っています。
母の願いとおりには歩まなかったことでずいぶん批判もされましたが、自分流の、自分で責任のおえる生き方を実践できてきたことで、愚痴やないものねだり、嘆きは少なく生きられているとおもいます。
母も遠くない将来、この世を去るのだと思います。その時は笑っていてほしい、とおもいます。
そして、私もこれからリタイアの日まで、毎日を笑って過ごしていたい。
他人に求めすぎず、自分のやりたいこと、自分が成長していけることに集中して、「あー、この世は楽しかった
」と笑ってこの世を去りたいな、って思います。

