こんにちは。
空町ふゆこです。
仕事の場所にはいろんな人がいて、時として自覚的にも無自覚的にも一種独特な作用が働いてしまったりします。
最近、同僚の1人が職場をひっそりと去りました。
彼は職場で「問題人物」とされ、周囲の言う「問題」の累積が影響して去っていくことになったのでした。
確かに、彼自身の仕事の精度や成果には改善の余地が大きかったのですが、私には「問題」がなぜかどんどんと成長し、いつしか「とても問題な人」となっていったように思えていました。
周囲は
「最後の日も周囲にお礼や挨拶さえしなかった」
「そういうことすらできないんだよね」
と言っていましたが、私のパソコンキーボードの下にそっと置かれていた手紙には、お礼や挨拶が丁寧に書かれていたのでした。
そういうことができない、しない人ではないんですよね。
もう彼は、心を閉ざしていたのだとおもいました。
きっとこの数ヶ月は彼も居心地悪い思いだったと思います。
たまにしか勤務しない私はきっと自分の退職を知らないだろう、驚かせてしまうだろう、といった気遣いが感じられる文章でした。
手紙には誰の悪口もなく、これからの身の処し方を前向きに書いてありました。
そのあとです。
いつも彼のせいだと言われていた仕事上の滞りが、またも発生したのです。
結局「問題」は彼だけの問題ではなかったのですよね。
メンバー全員で苦手を補い合い、全体でどう改善するかを真摯に詰めていくべきだったのだろうと思います。
滞りやミスをかぶってくれる「彼」はもういません。
いいかげん、残ったメンバーは自身の仕事に向き合わねばならないです。
そして、誰かを排除するような気運みたいなものが、いったいどこからどうやって生まれているのか。
それによって誰が助かっているのか。
大人なら、
ちゃんとした組織体なら、
向き合っていかないといけないですね。