こんにちは。

 

空町ふゆこです。

 

私は、友人との会話の中でついつい自慢話しをしてしまう癖があります。

「あ、またやっちまった・・・滝汗」と焦りますが、おそらく友人達はそれをふまえながら優しく聞いていてくれているのだと思います。

ごめんねー(⌒-⌒; )、みんな(笑)。

 

この自慢したい気質、一時期、

「完全排除したい」

と思って封じ込めたことがあるのですが無理でした(笑)。

 

自分の未熟な部分、みっともない部分なんでしょうが、しょうがない。

それをうっとおしい、と思った方は去っていかれると思うし、それは当然の帰結。自分の未熟さが招いた結果ですから。

寂しいですが受け止めるしかない。

 

ではやっぱり、そんな未熟でみっともない部分は改めたほうがいい?

 

でも、それってなんのためなんだろう?

なんのためにそんな、立派な人になろうとするのだろう?

 

それは多分「みっともないと思われたくない」からなんでしょうね。

 

じゃあ、みっともなくない人って、素敵なのかしら?

確かに素敵なのかもしれないし、尊敬されるかもしれないのですが、私は人間くさい人の方が好きです。

 

人間なので、腹が立ったり誰かもモヤモヤしたり、

「キイイイイイイーーームキー

となったりするのが自然なんだと思うんですよね。

そういうのを出さずにずっといても、どこかでそういうのって滲み出てしまうと思うんです。

 

勤め先の1つに、とても物静かで気がきく女性がいるのですが、普段は批判めいたことも誰かの意見に違和感があるようなそぶりも一切出さないんですね。

でも、彼女は静かに怒りや不満をためていて、ある瞬間、ちょっとした時にそれがにじみ出てしまう。

普段が「立派な人ふう」なので、その一瞬がとてもインパクトがある。

「へっ!!???ポーン

って。

 

でも次の瞬間はいつもの物静かな彼女に戻っているんですね。

 

そのギャップは印象強く残ってしまい、私は「ああ、本当は溜め込んでいるんだな」って思うようになりました。

 

そんなに立派にしなくていいのに。

 

思った時にぽろっとでいいから「ほんと、もやもやしますよねっ」って出してしまえばいいのに、って思ってしまいます。

そして、「彼女はそんな人間くさい面を必死に隠そうとしているんだな」って思うようになってしまいました。

 

自慢話癖が度を過ぎたら、相手がうんざりしたような表情を見せてくれるし、それを見て「やば、またやっちゃった!すまぬ!えーん」って思えばいい。

 

でも、私は度の過ぎない自慢?話をきくのは嫌いでないです。

その人が生き生きと、嬉しかったこと、ほめられたんだよーっおねがいてことを話してくれるのは。

だって、そんな瞬間て、掛け値なしで嬉しいですもんね。

 

また、怒りの感情なども、それが当然のことだったらやっぱり悪くないと思います。

人間同士が一緒にいきていればあることですもの。

 

みんながみんな、立派な人を目指して画一的な人間におさまっていったら、おもしろくないんじゃないなかな?

 

未熟すぎますか?

 

ふふふ照れてへぺろ