こんにちは。
最近、気付いたら「いいね」してくださる方がじわじわと、
ほんとに、じわじわと、
一人増え、二人増え・・・(笑)
まだまだblog初心者の私は、
なんか、そんなじんわり加減が
とてもほのぼのとしてありがたいなあ
と感じております。
最近、人と話していて登場してきた言葉、「ダメ人間」。
それを一人で考えていました
。
「ダメ人間」て、断面としての存在ではないのかなって。
「まるごとダメ人間」って、本当にいるのかなって。
人が「あいつ、ダメ人間だから」なんて言う時、
言った人はその人の事、どこまで知っているんだろう、って思うんです。
私たちが他人様の事を知ることができるなんて、
実はその人が外に見せているほんの一部なんだよね。
その一部でもって、まるでその人まるごとがダメかのように
決めつけて言っているだけなんじゃないかな。
日本の場合、「世間」という社会があって、
暗黙の「合格ライン」みたいなのがあって、
この「枠」にはまらないと「不適応」なんてことになって、
「不適応」ってなると、それこそ、その人の存在自体が
全てに対して「不適応」みたいな印象を与えてしまう。
なあーんか、それって、どの窓から見てるか、ってだけのような気もします。
私も、自分をを考えると、
仕事の面ではそれなりにこなしておりまして、
時に褒められたりすることもあり、
その面の私しか知らない大多数の皆様は
生活面も全てそんなイメージを私にお持ちのようです。
でもね、それは誤解、誤解(笑)。
本当に大間違い。
仕事が好きで、考えることが好きで、
好きなことに取り組んでいるから
それなりに成果もでているのであって、
それ以外の生活面だとかは、からっきし
なんです(笑)。
もし、「普通の生活大試験」みたいなのがあって
、
年一回は受検して、「合格しないとダメ人間ですよ」
なんてことがあったら
、
間違いなく私はダメ人間なんです。
それはもう、私が保証します![]()
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人の暮らしは仕事だけで成り立ってはいなくて、
むしろそれ以外の部分が大きかったり、重要だったりするのに、
私は好きな仕事の面だけで判断されているので、
誤解されているんです。
でも、私は知っています。
自分が、仕事面以外は、からっきしだってこと(笑)。
でも、そこを見られて「ダメ人間」て言われても
全くそれは気にしないんです。
好きな面で好きなことができているから。
できない面で、「できていない」って言われても、
人様に迷惑さえかけていなければ、オッケーでしょっ
て思います。
実は、アンバランスな自分が嫌いじゃないです。
他人様は私をバランスが取れているように誤解してくださるけど、
それはそれでありがたいし、
そうでなくても全然OKです。
だから、
人様が、他人をどの窓から見ているか、なんじゃないかと思うんです。
その窓から見たら、見えている部分はたまたまその人の苦手な部分であって、
当然、苦戦していて、それを窓越しに見る人は
「ダメだね〜」
「できないんだね〜」
なんて、勝手に見てしまう。
でも別の窓で見たら、とってもすごいことができていたり、
とても新鮮な発想ができる人だったりするかもしれない。
でも、そこを見る窓って、なかなか採用されなかったりする。
大多数の人が、他人を見る窓って、
実は偏っているような気もします。
もっと、たくさんの窓から見て、
一人の人のすごいとこ大発見すればいいのに。
だから、「ダメ人間」って言ってしまうのって
断面で人をトリミングして見てる結果かなって思います。
人どころか、自分の事をも、自分で偏った窓を採用して
トリミングして、決めつける。
もっとあなたはすごいのに。
そんな事を考えておりました
。