久しぶりに、ここを開いてみました。
昨年の6月に書き込み以来です。
あの頃は、夫の体調不良と義父の介護でBlogを書くことさえ面倒になってしまいました。
昨年10月19日に義父が永眠。この日、朝顔が季節遅れで咲いてました。
嬉しくて、種を頂いた方にお知らせ。二輪咲いてました。
まさかね…この日に亡くなるなんて…思ってませんでした。
7月からディサービスを辞め自宅介護に突入。
5月ごろから義父の様子、体調がいまいち、痩せてきたな~を毎日見て思ってました。
介護士に聞くと。食欲ありますよ~と言ってましたが。
自宅での食事の量が少なくなってきてるのに、なぜか介護士の言葉が信じられませんでした。
6月の頃ディサービスからいただいた写真を見ると頬がこけ活気のない表情。
それを見た私は… もう自宅で看るしかない義父の身体は悲鳴を上げてる。と思ってしまった。
7月8月と起き上がるが歩行困難。車いすで室内移動。
食事をするのも箸を持てなくなってました。
どうにか自らで食べてはいましたが、だんだんと箸も持てず。
スプーンも持てなくなってしまう。
食事介助が始まった。
9月になり起き上がるのも嫌になり。
「このままでええよ・・起きたくない」とまで言うように。
忘れもしない…9月13日。
居間にて朝食を食べてた時、ちょっと目を離したすきに。
咽喉に食べていた物が詰まり…窒息しそうになり、慌てて吐き出させた。
もう嚥下も弱くなっていたのでペースト食を行ってたんだけど、たまたまスイカの破片があり咽喉につかえた。
訪問医に連絡し来ていただき診察。
先生曰く…いつ体調異変があってもおかしくいですね。
どうします?延命措置を行いますか?と聞かれました。
夫、初期のころは「延命措置しない」とは言ってましたが。
やはりその時が来たときはお願いしました。
その時から寝たきり状態。全介助。
夫の体調不良と義父の寝ずの介護、ちょっと疲れたかな。(笑)
食事は摂取してましたが。
一ヶ月が過ぎたころ、訪問看護の方から…身体を見てもらってた時に「近いかもしれませんね」と。
身体の部分に褥瘡と浮腫みが表れ処置をしていただきました。
亡くなる三日前まで普通に摂取してたんですが急に要らないと。
水分も補給できなくなり、亡くなる当日。
胸騒ぎがし、なんかわからないが、全身清拭・口腔ケア・髭剃りなどすべての事を行わなくてはと知らず知らずのうちに施行してました。
その時、義父のか細い声が…。
「ありがとう」って。
午後になり呼吸が少しずつ胸呼吸になり次第に胸呼吸から口を固く閉じ深く息をしてました。
この時が下顎呼吸だったのかと後でわかりました。
その時、心のなかで(もう頑張らなくて良いよ。ゆっくり休んで)とつぶやいてる自分がいました。
様子を見て、在宅医に連絡か訪問看護士に連絡かと迷ってました。
次の日が訪問看護の日なので明日まで待ってみよう。そんな思いでした。
夕方になり夕食の準備を思い台所へ。
ほんの数分、義父から目を離し部屋へ戻ってきたときは…
呼吸が…止まってました…。
先生に連絡をし確認していただきました。
穏やかな顔で眠るように永眠(老衰)98年を終止しました。
先生とは10か月のおつきあいでしたが。
義父を見て、最後まで動じず冷静で返答されてましたね‥と
介護してた私が言うのもなんですが。
ほんま、手を煩わせることもなく、全てをあなたに任せる。
爺ちゃんは安心して、あんたに看てもらえることが幸せだよと生前言ってくれてました。
もう春。5ケ月が経ち未だに義父の事が思い出される毎日です。
夫と二人、事あるごとに義父母の昔話が出てきます。
今日は、時が過ぎ自分の中のものが整理できたように思えます。
また時間が出来たときに書き込み致します。