痛いほど感じる子供の気持ち。


でも、本当は違う。


私の、当時は自覚出来てなかった、でもつらい気持ちに、子どもの様子がかぶるから、痛いだけ。




ある意味同じなんだよ。でも違う。


ただ、子どものしたいこと、に、一番の焦点を合わすから、3年間、しんどいよ…と、私が心配しても仕方がない。


それに向かうのもするのもしないのも、決めるのは子どもだ。


最後はそこに収まると思う。


私は、それが決まる最後の最後まで、どちらでも大丈夫なように準備するだけだ!


そう、心に決めている。


ぐらついたり、自分の過去に引っ張られたりしたら、立ち止まって考えて、戻っていく立ち位置として、基本にしています。



出来れば、広い視野が感じられる方を選んでほしいけど、するのは子ども。


だから、最後に決めるのは娘だ。





今ね、子どもの学校、校区じゃないところに行きたいと申請しています。


さて。世の中は何かと騒がしいし、ピリピリしてる。


だから、今年なら、うまくいくんじゃないかな?



昔よりは、どこの学校も人数が減ってる。


でも、ひとくらすよりは、複数クラスのがっこうがいいよ。


少なくとも、多様性はある。


子どもが、望んでくれたから、それなら、と、母として、頑張ってます♪


みんなを嫌いになったわけじゃない子ども。


でも、お互い遠慮して気を使って、結果、言えなくなったり、誤解が膨らんだりする。



出来れば学校で、もう少しお互いに気持ちを伝えあえること、出来るようにしてもらえたら、と思うけど。難しいのは、「いじめ」という言葉の独り歩き。



私は、あって当たり前。無くなるわけがないと、思ってます。


でも、そこから、お互いを知るチャンス、として、話し合える機会やぶつかり合える環境を、先生に作ってほしかった。


でも、今の学校は、保護者会があっても、無難な、悪くない言葉のやり取りで終わっちゃう。


その先に何があるか、考えようとしない。田舎だから、余計につつけない。


学校の変更を願い出た事自体を、担任は驚いていた。


教育委員会にも、学校が悪い訳じゃない、と話した。


これは、本当。


親として、子どもに何をしてやれたか?と考えた時、さわれなくなった母は、口も悪くなり(子どもから引っ付いてこないように予防のためだった。)追いつめたいい方しかしなくなった。


だから、学校という集団生活で、どれだけの表現が出来ただろうか?と、思う。


兄弟にする意地悪も、無いわけではないけど、とんでも無い事にはならずに、仲良く出来てる。母に頼らず、兄弟で助け合う。。。


言葉で書くと、美談のようだが、私には罪悪感の素になってる。


上につらく当たるため、下の子どもにも、あまり、優しくは出来なかった。


でも明らかに違っただろう母の態度に、この子は何を思っていたんだろうか?



私は、したいことを、したい!という気持ちだけで、やらしてやることもできなかったから、やっといった、あの学校に行きたい!という、この子の気持ちは、是が非でも聴いてやりたかった。


でも、みんなと違うことをあえてするんだから、覚悟は必要だし、それでも行きたいのかどうか、と言うところで、ずいぶん話し合った。


わからない…


と、どうしたらいいのかもわからなくなった時期もあったよね。



でも、最後には、やっぱり、行けるものなら、行きたい!と、まだ、やれることはあるから、頑張ろう、と、思えるところまで、しっかり話し合えたんだ。


これから、大人への第1歩を進む出すあなたへ。



この決断を出来る娘だと思ってなかったけど、その決断を出来る、話し合える、親子でいられることが嬉しいです。



これが実っても、ゴールじゃない、始まりだよ。


実らなくても、よく頑張ったよね♪と、思えるように、もう少し頑張ろうね♪