激しく痛まないおなかを疑問に感じながらも、

何時間もトイレに行っていなかったことを思い出し、

私は今のうちに用をたしておこうと

病室にセットしておいてもらったポータブルに行こうとした。

 

 

夕方、陣痛が始まってから

はじめてベッドから起き上がった。

 

 

その瞬間、

なまあたたかいものがドッと膣を流れるのを感じた。

 

「出産前にねばねばした血みたいなのが出るよ」

 

と看護師さんに聞いていたので、

これが出産前の合図だと

すぐに分かった。

 

 

 

そしてさらに体を動かしたそのとき

つるんつるんと二回に分けて、

体のなかを

不思議な何かが通り抜けていくような感覚を覚えた。

 

 

 

 

 

出産だった。

 

 

 

 

 

8月19日、午前2時30分。

 

大空が生まれた。

 

 

 

 

産声をあげることはなかったが、

へその緒が

私と大空とをしっかりつないでいてくれたことが

実感できた。

 

 

指先ほどの

大空の小さな小さな両足が見えた。

 

 

 

 

 

黒みがかったむらさきいろ。

 

 

私たちの赤ちゃん。

 

 

 

20時に夫と母たちが病室を出ていってから

どれくらい時間が経っていたのかはっきり分からないが、

21時とか22時くらいからだろうか・・

 

入院してからのこの二日間

まともに眠っていなかった私は、

陣痛の合間にウトウトと眠り、

2分半後に痛みとともに目が覚めるということを

くりかえし始めた。

 

 

痛くて痛くて

おなかを両手でおさえながら

ベッドの上を左右に寝返りをうつように転がり、

痛みが落ち着くと眠り、

また痛みがきて、また眠る。

 

何度も何度もそれをくりかえした。

 

 

 

そしてふと目が覚めたとき、

それまで激痛で目覚めていたのとはちがうことに

なんとなく気付いた。


 

 

痛みが和らいでいたのだ。

夜、陣痛の間隔は2分半くらいになっていた。

 

 

痛みが次第に強くなってくる。

 

病室に来ていた夫と母と義母が

痛みがおとずれるたびに

交替で私の腰をさすって言葉をかけてくれていた。

 

 

涙とあぶら汗が出、

体をまるめてベッドに横たわって

痛みに耐える。

 

 

20時になると、

この日もやはり夫と母たちは

帰宅しなければならなかった。

 

相変わらず2分半間隔でくる陣痛の合間で

夫たちが帰っていく後ろ姿を見送る。

 

「がんばって」と私の手を握り、

何度も振り返りながら夫たちは病室を出ていった。

 

 

 

陣痛は2分~2分半を保ったまま

このあともそれ以上間隔が短くなることはなく、

しかし痛みは同じように

くりかえしやってきた。

 

痛みで声が出てしまう。

 

 

 

悲しい陣痛との孤独なたたかいであったのに、

夫やまだ見ぬ我が子の顔が心の中に浮かび、

私はひとりではないと

励ますように自分を奮い立たせている

私がいた。

 

午後になってから

陣痛促進剤をたしか2回使い、

夕方には陣痛がきた。

 

 

もう赤ちゃんは死んじゃったのに

なんでこんな痛みに耐えなくてはならないのかという、

むなしさ。

 

赤ちゃんに母として何もしてあげられなかった私が、

赤ちゃんをおなかから出すことで

やっとはじめて母らしい役割をつとめられる

最後のチャンスなのではないかという、

思い。

 

いろいろな気持ちが複雑にからみ合う中で、

私は悲しい陣痛とたたかっていた。

 

 

 

赤ちゃん、あなたを外の世界に出してあげられるのは

・・私しかいないよね。

 

 

・・私しかいない。 

 

 

 

よく、陣痛を経験しても

その痛みを女性は忘れてしまうと言われている。

 

それほど

生まれてきてくれることの喜びや赤ちゃんのかわいさが大きく、

陣痛の痛みなど超えてしまうということだろう。

 

 

私は陣痛の痛みとたたかいながら、

これが「生」を待つための痛みなら

どんなにいいだろうと思った。

 

 

 

私はきっと、

このときの陣痛がどれほど痛かったか

どれほどつらかったかを、

この先ずっと忘れることはないだろう。

 

-8月18日-

 

夜中から何時間も泣き続けていたため、

窓の外が明るくなって朝がきたころには

ひどく顔がつっぱっていた。

 
 

8:00 経腹超音波検査と経膣超音波検査を受ける。

 

大空の映る画面を見ながら、

江口先生が言った。

 

「赤ちゃんの心音、すでにとまっているようだね」

 
 
 

・・亡くなっていた。

 
 
 

同じ超音波検査を今まで何度も受けてきたが、

前回まで大空の心臓はピコピコと動いていたのに、

いつも一生懸命動いていた心臓は

もう止まってしまっていた。

 

私も画面をのぞきこんで大空の心臓のあたりを見たが

動いている部分はどこにもなく、

おなかのなかにふんわりと浮いている

じっとしたままの大空がそこに映っていた。

 
 

とうとうこのときが来てしまったと思い、

また涙が止まらなくなる。

 

入院してからの処置で前期破水したため、

大空は亡くなったのだ。

 
 

「先生、赤ちゃんもう死んじゃったの?

 死んじゃったの?」

 

と私は泣きながら何度も江口先生に聞いていた。

 
 

江口先生は私のおなかに手を置き、

 

「赤ちゃん、死んじゃったんだよ。

 今のままではきっと苦しいから

 早く外に出してあげようね」

 

と言った。

 
 
 

病院の面会時間である8:30になるとすぐに

病室のドアをそっと開け、

夫が来た。

 

私は夫に

大空の心臓が止まってしまっていることを話した。

 

夫とふたりで

大空と過ごしたこの5ヶ月のことを話し、

泣いた。

 
 

大空が小さな心臓を精一杯動かして生きていた

いのちの時間は、

私たちの知らぬ間に

静かに終わりを迎えていたのだ。

入院してはじめてのこの夜は、

眠剤を処方されて飲んではいたものの

ぐっすり眠ることが

できなかった。

 

薬を飲んでしばらくすると

眠気におそわれて眠りにつき、

しかしふと目が覚めて時間をたしかめると

3時間ほどしか経っていない。

 

それから眠れなくなり、

朝までの数時間を病院のベッドのなかで

泣いて過ごした。

 

 

夜が長い。

 
 
 

大空とのしあわせなときを思い出す。

 
 

つわりはほとんどなく、

何を食べてもおいしく、

出かけたいときに出かけることもできた。

 

・・三社祭を見にいったね。

 

・・あじさい祭にいったね。

 

・・高木神社のお祭りにいったね。

 

・・あさがお市にいったね。

 

・・隅田川の花火を見たね。

 

・・長野に旅行にいったね。

 

・・ゆずのライブにいったね。

 

どこに行っても来年は赤ちゃんが一緒だと思うととても楽しみで、

赤ちゃん連れになる前最後の今年を

楽しもうと思えた。

 
 

大空との日々を思い出して泣き、

そのあとに今度は

自分を責めることで泣く波がくる。

 

つわりもなく、

私が好きなことをして好きなものを食べて

元気そのもので過ごせたのは、

この子がそうできるようにしてくれていたからだ。

 

それなのに私は、

健康に生んであげることもできず、

生かしてあげることさえできない。

 
 

・・ごめんね、赤ちゃん。

 

・・ごめんね。

 

本当にしあわせな5ヶ月間を、

しあわせをくれたのに

・・なのにごめんね。

 

・・ごめんね。

 
 

夫に対する申し訳なさもあふれ、

妊娠を知ったときに泣きそうになりながら喜び

妊娠生活をたくさん手伝ってくれた夫の顔が

はっきりと浮かんでくる。

 
あなたが待ち望んでいた大切な赤ちゃんを、

私は死なせてしまう。
 
 
 

母としても妻としても、

何ひとつできない。

 

布団で自分の顔を強くおさえるようにして

私はごめんねと絶叫し続けていた。

 

自分の無力さを責め、

自分の無力さを思い知った。

 

-8月17日

 

夕方から、A産婦人科に入院。

 

おなかにいる大空の頭にあわせて膣をひろげる処置が

あとすこしのところまできていたのだが、

痛みとのたたかいは

これ以前の二日間よりもさらにつらかった。

 

処置がほどこされるたびに

痛さの度合いは増していった。

 
 

20時には

付き添いの夫は帰宅しなければならなかった。

 

私以外は病院に泊まることはできないと

入院の際に言われていたのだ。

 

私のほかに入院している人や妊婦さんがいないのだから夫を一緒に泊めてほしい

というわがままが、

20時までの時間を一分一分カウントダウンされているかのように

感じさせた。

 

20時になると

夫が後ろ髪をひかれるような表情を残して帰ってしまうことが

本当にいやだった。

 
 

しかし、

入院患者が私ひとりでも夫が泊まれないと言われていたのは、

私が夫に甘えた気持ちでいると

これからのさらなる痛みとつらさを乗り切れないと、

江口先生が見通してのことだったのかも知れない。

 
 

A産婦人科に付き添ってくれていた夫は、

処置室から泣きながら出てきた私を見て

 

「大丈夫?」「痛かったんだね」

 

と言って気遣ってくれた。

 

膣に違和感があり

痛くてゆっくりとしか歩けない私に、

歩調をあわせてくれた。

 
 
 

夫に対して

 

“私たちの赤ちゃんを元気に育てられなくて、

元気に生めなくて、ごめんね”

 

と申し訳なく思う、

罪悪感に似た感情が芽生えはじめ

この頃日に日にふくらんでいった。

 
 

でも自分の心と体の痛みが覚悟していたよりずっと大きかったために

ただただ精一杯で、

夫に頼ることが優先して

申し訳ない気持ちを言葉にできずにいた。

 

-8月15日-

 

この日と翌日の16日は、

A産婦人科に通院することになっていた。

 

二日間通院し、

中絶にあたって必要になる

膣をひろげるという処置をまずは受けるのである。

 

そして膣がひろがったら

17日から入院をして、

陣痛をおこして大空を生む予定になったのだ。

 
 
 

15日朝、通院。

 

A産婦人科は

ちょっと古い感じの小さな病院で、

いかにもこれまで何百人もの赤ちゃんがそこで生まれてきたと

建物自体が語っているようなたたずまいである。

 

しかし出産だけではなく

妊娠や婦人科系のさまざまなトラブルをかかえて

A産婦人科に通ってくる女性も多いと江口先生は言っていた。

 
 

本当ならばこのお盆の時期はA産婦人科はお盆休みで休診。

 

急遽、通院・入院が必要になった私のために

病院をあけてくれることになったので、

当然のように患者は私だけ。

 

病院はがらんとしていた。

 
 

江口先生に

 

「とても痛いし、精神的にもとてもつらい作業になるからね」

 

と言われていたので

痛みに関しては覚悟をしているつもりだったが、

初日であるこの日から

予想をこえる痛みだった。

 

棒状の細いタンポンのようなものを膣に入れ、

膣をひろげる。

 

痛くて

叫び、泣いた。

 
 

痛みで泣いているだけではなく、

赤ちゃん、元気に生んであげられなくてごめんねという気持ちと

この痛みの先に待っているのは赤ちゃんの死という悲しみが

心を突き刺し、

心もまた予想をこえる痛みだった。

 


朝・・

目覚めると泣く。


それを毎日くりかえすようになっていた。


現実の朝が、

目覚めるたびに訪れる。



そして24時間のうちで

泣く時間が多くを占めるようになり、

まるで津波に突然おそわれるみたいに、

一日一日のふとした瞬間に

大声をあげて泣いてしまうことが続いていた。


おなかのなかで生きている大空を

一日中思い、

いとおしさと申し訳なさを行ったり来たりしながら

どちらの感情もなみだになった。



私の不安定な気持ちの波。


夫は

私の津波がたとえ夜中や朝方にきた時でも、

今なにをどんなふうに考えて私が泣いているのかを

聞かせてほしいと毎回言い、

そのたびにじっくりと聞いてくれた。




少しでも夫の姿が見えなくなるのが不安で不安で仕方なく、

夫がトイレに行くことさえ、

自分から離れて戻ってこなくなるのではと思えるほどだった。


あと数日で大空がいなくなるという悲しみは、

私の大切な人はどんどん私の前から消えていってしまうような不安へと

広がっていた。