自分が好きなものが
何かわからない。
これって自分の気持ちが
わからないってことですね。
ずーっと昔、子供のころから、好きなもの、自分が美しいと思うものだけに囲まれて暮らしたい。
家だって、こんなボロボロの家じゃなく(当時の実家は江戸時代か明治のはじめに建てられた、衝撃の古家でした)、おしゃれな家に住みたい!
とずっと思っていました。
山奥の田舎の質素な暮らしなので、自分が素敵だと思うものが手に入らない。
21世紀の今ですら、山をいくつも越えないと、買い物すらできないし(笑)
当時はインターネットなど普及していなかったので、情報も手に入らない。
実家がまた、物が捨てられない家で、なんでこんなものを取っておくの~(>_<)という、美しくも実用性もないもので埋め尽くされていました。
あ、私は実用性のある、シンプルなものは美しいと思っています。
私が
『片付かなくて見苦しいから、使わないなら捨てれば?』
と言おうものなら、周りの大人からは避難ごうごう。
『物のありがたみがわからない子』
『贅沢な子』
親や祖父母、親戚も近所の人も同じようなことを言いました。
当時存命だった、祖父母をはじめとする、戦争の苦労を知っている人に言われると、こちらも何も言えなくなりますし。
恐ろしいことですが、そういう環境のなか、自分を否定されると、自分というものがわからなくなっていきました。
別に悪いことをしているわけでもないのに、なんとなく罪悪感を感じるというか、感じさせられるというか。
そしていつしか私も、いつか使えるかも・・・と、使いもしないものをため込む”妖怪もったいないお化け”になってしまいました。
無自覚で!
知らず知らずのうちに、子供のころに自分の素直な気持ちを押し殺して、周りの意思に合わせていたことが、家が片付かない根本的な原因だったんですね。
何度も本当の自分の気持ちというものに問いかけて、原因を悟ってからは、そりゃーぁ、もう、ガンガン処分できました。
それが完了したのが、今年の三月。
インフルエンザで会社を休むことになった五日間で、最後の仕上げをしました。
なんで寝ていないんだと言われそうですね。
初日だけ寝込んだのですが、残りの日は薬が効いて、なんだかやらなきゃ!!と力がわいてきて、一気に段ボール10箱ほどの本を処分しました。
あんなに捨てられなかった本なのに!
自分が管理していたものは、三分の一ほどの量になりました。消耗品以外は足りていて、欲しいと思いません。
そして今年に入ってから、ひとつひとつ、自分が美しいと思うものを手に入れ、それを使う喜びが心を満たしていきました。
そしてその二週間後にはヴィーナス塾の説明会に参加していたのです。
『願いをかなえたかったら、
いらないものを捨てて、
きれいに家を掃除してね。
新しいものを入れるには、
その分のスペースを
あけないとね』
去年、私が抱いた願いはまだ叶ってはいません。
でも 断捨離を通して、自分の心に向き合い、心に抱えていたもやもやを払拭することで、自分の家も、心の中にもできたスペースに、ヴィーナス塾が入ってきたのは、何かしらの意味があると思うのです。
この半年を通して、物だけでなく、心も断捨離することができました。
天の配剤に感謝です。
ちなみに実家は、この、春から時折帰省して、私が片付けることになりそうです。
結構壮絶なので、いつ完了できることでしょうか。