祖母のこと 2 | しあわせのいと

しあわせのいと

膠原病、難病である強皮症であり、主症状は慢性偽性腸閉塞。
療養生活でも、闘病しない、難病を持っていても工夫次第で生き方は選べる。
病気の状況を記録 兼
心のことも書いていこうと思います。
よろしくお願いします

続き。




翌日は葬儀。


式場に着き

車にものを取りに行ったところで

祖父の弟夫婦と出くわし

一緒に控室へ。


車椅子から立ち上がった私の後ろ姿に

大叔父は

「あんたのお母さんにそっくりじゃのう」と。

ちょうど母が出てきて母にも行ってました。


そして

「あんたはお母さんにそっくりじゃ。

お父さんには全然似とらん」


この「全然」とその口調には

父への思いを感じてしまいました。


反面

温かい言葉をかけてくれる叔母たちに

癒やされてもいました。


家族葬ということもあり

私以外は高齢者。

大叔母など女性の親戚たちは

私や親戚より少し若い母へ

優しい言葉をかけてくれました。




そんな

その場にいた

いろんな人たちを見ながら

また

皮肉にも

不快でならない振る舞いをする父を

この人はこういう人だと残念ながらも

ありのままを少し受け止めていた中

私は感じるものがあったのだと思います。




葬儀が終わり

その日のうちに執り行った

自宅での初七日を終え


ある程度の片付けも終わって

夕食の準備をしながら

ふと思ったことがありました。




「人には色々ある」

と。




この短い一文が頭に浮かび

それと同時に

祖母のこれまでを許せた感じがしました。


それは亡くなったから思えたとも

言い切れない気がします。




祖母が違っていれば

何か違ったのかもしれないと

今でも思わないわけではありません。


だけど

祖母は祖母で

祖母の人生を生き抜いたし


家族におそらく一度も

もしかしたら誰にも

素直な気持ちを言ったことはないけれど

それが祖母なのだろうし。


心が穏やかなときなんてなかっただろうけど

だからこそ

祖母の顔はキリッとしていて

たるみもなく

きれいなおばあちゃんでずっといたし。


どんなときでも

口角が下がっていたというイメージがない。


痴呆が入るまでは

毎日畑で作業して。


若い頃は

祖父が酒屋の跡取り代わりをしていて

不在のことが多かったけど

農作業含め

しっかりいろんな段取りをして生活してきて


それは

親戚も知っていて


大叔父も

「あんたは頑張り屋さんだったの」

と声かけていて

それが全てだと思いました。




私は

祖母に痴呆が入っても

できるだけ接さないようにして暮らしてました。


それくらい拒絶していたけど

なんかほんとに

「人には色々ある」

という言葉だけで

それが腑に落ちました。


それはきっと

祖母を見ていて

単に性格が悪いだけではないことを

感じていたからだと思います。


祖母の背景には色々あった。

だからだと


それを全て集約された一文にできた

そういうことなんだと思います。




今は

「頑張り屋さんだった祖母」とだけ

私の心にあります。

お通夜の前には

「胸糞悪い人」でまとめてたんですけどね。


日々の生活のことをきっちりやるだけでも

すごいと今は思います。




そんな

ほんとに個人的な思いですが


あんまりまとまりはなかったけど

最後まで読んでくださりありがとうございました。






このアゲハ蝶は

祖母の葬儀の次の日に

庭に来たアゲハ蝶です。


祖母を蝶に例えるなら

アゲハ蝶だと思います。


田舎の苦労したおばあちゃんなのに

服のセンスもよく

きれいだった祖母は

派手ではないけど

アゲハ蝶のようでした。