今日は、瀬良ふみこさんのワークショップに参加しました!

とても、とても、すばらしい時間をすごさせていただきましたw


ええと....でも、本日の日記は、ワークショップの感想ではなくw

家に帰ってからみた、瀬良さんのHPに書かれてる、

「新世界を目指す者たちからのメッセージ」について自分なりに

考えてみたことです。


「特別な者にしか手に入れることができなかった物事を貴方はどのように説くのか」


このテーマについて、勝手に考えてみました!


わたし、これね、わかっちゃった。


「物事」はね、「楽に生きること」だと思うの。

ただ、ダラダラ生きることじゃないよ!


人間界はいろーんないろーんなものが渦巻いてて、

いやーな感情とか、社会的ななんたらとか、まあ全部書いたら

大変な量になるくらいのたっくさんの障害や糧があると思うの。


それらのなかで、ちゃんと「本質」を見極めて生きていける人のことを

「特別な者」っていってるんじゃないかな?


だから、ごちゃごちゃした世界のなかで、

「本質」を見極めて生きていくことができた者こそ、

変なモノに囚われず、自身の足で生きていける、

結果的に一番楽な生き方ができている。


それこそが、手に入れた「物事」なんじゃないかしら??



なんてね!!あってるかなあ?

わたしは、そんな風に考えた。


自分で考え付いたのが嬉しかったから、

ついつい、ブログに書いちゃいました~♪


気づきって素敵ですね!



今日は、千葉駅のあたりで、盲導犬のボランティア活動を

している人たちがいました。

暑い中、盲導犬と盲導犬候補と、盲導犬になれなかった子たちも

一緒にいましたので、おそらく盲導犬協会の主催なんだと思います。


手作りのものや、犬のデザインの商品がいくつか並んでいて、

募金箱なんかもあって、何人かが募金をしたり、お話に聞き入ったり

していました。



わたしが足を留めたのは、犬がいたから。

わたしは、学生の時代などによくある強制的な行事以外、

ボランティア活動に参加したことがありません。


募金に対しても、あまりいい感情を持ったことがありません。

偽善的なものを感じていた時期があったからかもしれませんし、

募ったお金を横領する人がいるからかもしれません。



そんなわたしが、どうして最前列にいたのでしょうか。

最前列に進んで行ったのは、まったくの無意識でした。

気がついたら、商品や募金箱にいちばん近いところにいたんです。



他の人が、入れ代わり立ち代わりサラッと募金していくなか、

恥も忘れてずーっと最前列に居座り、じっくり眺めて見ても、

自分に必要な商品なんか、なにひとつないんです。


何か買ってあげようかな、この場合もう何か買わないとだよな、とか

一瞬思いましたが、どう考えても必要なものなんか、何もないんです。


無理に買ったとしても、絶対後悔するってわかってるし、

だからといって、かわりに募金の金額をはずんだとしても

やっぱり後悔するに決まっています。


あちらにとっても、わたしが後悔しながら渡したお金なんかは、

きっと嬉しくないし、それってボランティアじゃないと思う。

それどころか、後悔の念までもらっちゃって、マイナスだと思う。



それで、考えた挙句、私は何も買わずに、

50円だけ、募金しました。 たった、50円だけ。


お給料日の後、お財布にはいつもより多めにお札も入っていました。

でも、50円。 これが、わたしの精一杯でした。


これが、自分が後悔しない額。

わたしが無条件で出せる、精一杯の気持ちでした。


言い方が変ですが、こういった出資にはいつも銅貨を出していたので

自分の意思で、銀貨を出したのすら初めてなんです。

初めて出した、銀色のお金です。穴は開いてますが、銀貨です。




募金をしたら、折り紙の盲導犬を貰いました。



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この折り紙の盲導犬を受け取った瞬間、

ぶわっ、と涙が溢れました。


わたしが今まで涙を流してきたときは、

涙が出るまでのステップ「悲しい数分間」「悔しい数分間」があり、

こんな風に一瞬でぶわっ、とくることがないんです。


ただ最近、頭で理解する前に、心が反応して涙が出ることがあります。


自分では何がどうして涙が出たのか、理解する前に涙が出ます。

別に精神が不安定なわけではなく、「愛」とか「やさしい」を実感した

瞬間に、一気にこみ上げてくるようなんです。



今日は、その折り紙の盲導犬と一緒に、

何か大事なものを受け取った気がしました。


直感で、「これはすごいものをもらった」という感じがしました。

きっと、この子はわたしを助けてくれると思います。

いつでも一緒にいられるように、お財布にいれておきます。



それとはじめて、もっと募金すればよかった、と思いました。



今でこそ、あの折り紙の盲導犬には、50円の募金では

少なかったと素直に思います。

わたしは50円よりももっと、おおきなものをいただいたから。



次にもし、この団体を見かけることがあったら、

今度は穴の開いていない銀貨を募金したいです。





今日、「ちはやふる」を読んでいて、

今までずーっと気になっていた言葉が出てきました。


「花の色、うつりにけりな」


この言葉、わたしが好きな、元ちとせさんの歌の歌詞のなかにもあるんです。

「そらをうめる花の色、うつりにけりな、我が恋」

この詩、今まで全く意味もわからずに歌っていたんですが、でもなんとなく好きで。


「ちはやふる」の新刊には、小野小町の詩が載っていまして、その詩が

「花の色は、うつりにけりな、いたづらに、わが身世にふる、ながめせしまに」でした。

元ちとせさんの歌詞の謎の部分にそっくり!


この詩の意味は、こんなだそうで。


美しかった花(桜)の色は、むなしく色あせてしまったのですね。

むなしく世を過ごしている間に、自分の姿や顔かたちも衰えてしまった。


自分がいかに時間を無駄づかいしていたんだろう、という後悔の歌のようですね。

ものすごく共感...本当は、人生に無駄なことなんてないんでしょうけどね。

でも、無駄だったなあって感じちゃう気持ちはわかります。


最近、自分のために、自分をもっと良くしたい!と、考えを切り替えたばかりだったので

すごーく、心に響きます。こうならないように、今からいろいろやってみよう!って思いました。

まだ、時間ならあるさ...。


ところで、わたしが今まで謎だった、『なんか気になるフレーズ』は、

こんな内容だったんでしょうか?↓


歌詞「そらをうめる花の色、うつりにけりな、我が恋」

意味「そらをうめるほどの満開の桜の色は、私の恋のようにむなしく色あせてしまった」


たぶん、こんな感じだったんでしょうね。


日本の古い言葉って、インパクト大です。

意味がわからなくても、妙に惹きつけられるパワーがあるような気がします。

ほとんど恋文のようなものですからね、聞き手を惹きつけてナンボ...。



うつりにけりな...