今日は、千葉駅のあたりで、盲導犬のボランティア活動を
している人たちがいました。
暑い中、盲導犬と盲導犬候補と、盲導犬になれなかった子たちも
一緒にいましたので、おそらく盲導犬協会の主催なんだと思います。
手作りのものや、犬のデザインの商品がいくつか並んでいて、
募金箱なんかもあって、何人かが募金をしたり、お話に聞き入ったり
していました。
わたしが足を留めたのは、犬がいたから。
わたしは、学生の時代などによくある強制的な行事以外、
ボランティア活動に参加したことがありません。
募金に対しても、あまりいい感情を持ったことがありません。
偽善的なものを感じていた時期があったからかもしれませんし、
募ったお金を横領する人がいるからかもしれません。
そんなわたしが、どうして最前列にいたのでしょうか。
最前列に進んで行ったのは、まったくの無意識でした。
気がついたら、商品や募金箱にいちばん近いところにいたんです。
他の人が、入れ代わり立ち代わりサラッと募金していくなか、
恥も忘れてずーっと最前列に居座り、じっくり眺めて見ても、
自分に必要な商品なんか、なにひとつないんです。
何か買ってあげようかな、この場合もう何か買わないとだよな、とか
一瞬思いましたが、どう考えても必要なものなんか、何もないんです。
無理に買ったとしても、絶対後悔するってわかってるし、
だからといって、かわりに募金の金額をはずんだとしても
やっぱり後悔するに決まっています。
あちらにとっても、わたしが後悔しながら渡したお金なんかは、
きっと嬉しくないし、それってボランティアじゃないと思う。
それどころか、後悔の念までもらっちゃって、マイナスだと思う。
それで、考えた挙句、私は何も買わずに、
50円だけ、募金しました。 たった、50円だけ。
お給料日の後、お財布にはいつもより多めにお札も入っていました。
でも、50円。 これが、わたしの精一杯でした。
これが、自分が後悔しない額。
わたしが無条件で出せる、精一杯の気持ちでした。
言い方が変ですが、こういった出資にはいつも銅貨を出していたので
自分の意思で、銀貨を出したのすら初めてなんです。
初めて出した、銀色のお金です。穴は開いてますが、銀貨です。
募金をしたら、折り紙の盲導犬を貰いました。
この折り紙の盲導犬を受け取った瞬間、
ぶわっ、と涙が溢れました。
わたしが今まで涙を流してきたときは、
涙が出るまでのステップ「悲しい数分間」「悔しい数分間」があり、
こんな風に一瞬でぶわっ、とくることがないんです。
ただ最近、頭で理解する前に、心が反応して涙が出ることがあります。
自分では何がどうして涙が出たのか、理解する前に涙が出ます。
別に精神が不安定なわけではなく、「愛」とか「やさしい」を実感した
瞬間に、一気にこみ上げてくるようなんです。
今日は、その折り紙の盲導犬と一緒に、
何か大事なものを受け取った気がしました。
直感で、「これはすごいものをもらった」という感じがしました。
きっと、この子はわたしを助けてくれると思います。
いつでも一緒にいられるように、お財布にいれておきます。
それとはじめて、もっと募金すればよかった、と思いました。
今でこそ、あの折り紙の盲導犬には、50円の募金では
少なかったと素直に思います。
わたしは50円よりももっと、おおきなものをいただいたから。
次にもし、この団体を見かけることがあったら、
今度は穴の開いていない銀貨を募金したいです。