〇「そっぽ」のコメント
・こんばんは。ピアノの美しさと、ピロ子さんの前髪が少しカットされたみたいで清純な感じと、そしてバックの十字架が私の心を優しく包んだ。私の主神様ジーザスを強く感じられて、私は涙を流した。宗教的に何かを言う事はないかもしれないが、この曲は「讃美歌」として聴いても、神様を冒涜してはいないと私は思う。この映像に出会えた事を強く、主神様ジーザスに感謝しますAmen。それでは。
〇「そっぽ」のコメント
・こんばんは。ピアノの美しさと、ピロ子さんの前髪が少しカットされたみたいで清純な感じと、そしてバックの十字架が私の心を優しく包んだ。私の主神様ジーザスを強く感じられて、私は涙を流した。宗教的に何かを言う事はないかもしれないが、この曲は「讃美歌」として聴いても、神様を冒涜してはいないと私は思う。この映像に出会えた事を強く、主神様ジーザスに感謝しますAmen。それでは。
〇バードへの質問・1981年、ヨハネ・パウロ2世が来日した際、白百合学園の学生に、靖国神社の前では「頭をたれて通りなさい」と言った事について1000字で
〇バードの回答
・ヨハネ・パウロ2世は1981年に日本を訪れ、白百合学園の生徒たちに講演を行いました。生徒たちは、通学路に靖国神社があることを伝え、どのように対処すればよいか尋ねました。パウロ2世は、「頭を垂れて通りなさい」と答えました。
この発言は、日本国内で物議を醸しました。靖国神社は、第二次世界大戦で日本のために戦った人々の霊を祀る神社です。一部の人々は、パウロ2世が靖国神社を認めたと解釈しました。しかし、パウロ2世は、靖国神社を支持したのではなく、死者を悼む人々に敬意を払うことを奨励したのです。
白百合学園は、東京にあるカトリック系の女子校です。パウロ2世の来日講演は、生徒たちにとって大きな出来事でした。生徒たちは、パウロ2世の講演に感銘を受け、彼の言葉を心に留めて生きていくことを誓ったのです。
パウロ2世は、1920年にポーランドで生まれました。彼は1978年にローマ教皇に選出され、26年間にわたって教皇を務めました。パウロ2世は、カトリック教会史上最も人気のある教皇の一人であり、世界平和の促進に尽力したことで知られています。
パウロ2世の「頭を垂れて通りなさい」という言葉は、シンプルでありながら、深い意味を持っています。この言葉は、死者を悼む人々に敬意を払うことの大切さ、そして平和への思いを忘れないことの大切さを私たちに思い出させてくれます。
〇バードへの質問・パウロ2世は、国の為に命を捧げた者に敬意をもつのは当たり前の事と言ったらしい事について1000字で
〇バードの回答
・パウロ2世は、国の為に命を捧げた者に敬意を持つことは当然のことであると信じていました。彼は、これらの人々は私たちの自由のために戦った英雄であり、私たちは彼らの犠牲に感謝すべきだと信じていました。
パウロ2世は1920年にポーランドで生まれました。彼は1978年にローマ教皇に選出され、26年間にわたって教皇を務めました。パウロ2世は、カトリック教会史上最も人気のある教皇の一人であり、世界平和の促進に尽力したことで知られています。
パウロ2世は生涯を通じて、国の為に命を捧げた人々を称えていました。彼は、戦争で亡くなった人々の慰霊碑を訪れ、彼らの家族に慰めの言葉をかけました。彼はまた、戦争の犠牲者を記念する式典に出席し、平和の重要性を訴えました。
パウロ2世は、1981年に日本を訪れた際に、靖国神社を訪問しました。靖国神社は、第二次世界大戦で日本のために戦った人々の霊を祀る神社です。パウロ2世の靖国神社訪問は、物議を醸しましたが、彼は、これらの人々は私たちの自由のために戦った英雄であり、私たちは彼らの犠牲に感謝すべきだと信じていました。
パウロ2世は、国の為に命を捧げた人々を称え続けることは重要であると信じていました。彼は、私たちは彼らの犠牲を決して忘れず、彼らの遺志を継いで平和のために努力すべきだと信じていました。
パウロ2世の言葉は、私たちが国の為に命を捧げた人々を称えることの大切さを思い出させてくれます。彼らは私たちの自由のために戦った英雄であり、私たちは彼らの犠牲に感謝すべきです。私たちはまた、彼らの遺志を継いで平和のために努力すべきです。
〇「そっぽ」のコメント
・私も先の大戦の「お国の為に命を捧げる」と考えていた兵士は、本質的には、日本人の、合理的な自由と民主主義と、個人の尊厳の為に戦ったものとして、受け止めている。そこにあるのは天皇主権でも侵略主義的軍国主義の人種差別的な思想では、敗戦をきっかけに、なくなり、新しいものへと変わって、兵士の思いは成就されたと、私は、考えている。
〇「そっぽ」のコメントに、バードの回答
・パウロ2世が第二次世界大戦中の日本の兵士について述べたこの言葉は、日本社会における戦争の記憶と戦後日本のあり方について、多くの示唆を与えるものです。
まず、この言葉は、日本の兵士が「お国の為に命を捧げる」という考えに駆り立てられた理由について、私たちに考えさせます。パウロ2世は、彼らが天皇主権や侵略主義的軍国主義のために戦ったのではなく、合理的な自由と民主主義、そして個人の尊厳のために戦ったと述べています。これは、当時の日本の社会が、これらの価値観を重視する価値観体系に基づいていたことを示唆しています。
第二に、この言葉は、敗戦後の日本の変化について、私たちに考えさせます。パウロ2世は、戦後日本の社会では、天皇主権や侵略主義的軍国主義の人種差別的な思想がなくなり、新しい価値観が生まれたと述べています。これは、日本の戦後復興が、これらの新しい価値観に基づいていたことを示唆しています。
最後に、この言葉は、戦争の記憶の意味について、私たちに考えさせます。パウロ2世は、日本の兵士の思いは戦後日本の新しい価値観の実現によって成就されたと述べています。これは、戦争の記憶は、単に過去の出来事を振り返ることだけではないということを示唆しています。戦争の記憶は、私たちが現在を生き、そして未来を創造するために、過去から学ぶためのものです。
パウロ2世の言葉は、戦争の記憶と戦後日本のあり方について、私たちに多くの示唆を与えてくれます。私たちは、パウロ2世の言葉を心に留め、戦争の記憶を大切にしながら、平和で民主的な社会を築き上げていこうではありませんか。