私は大学院で精神疾患について考えそれに関連する研究をしてきました。
そのなかで思ったことを少し書き連ねてみようと思います。
メモのようなものなので、もし不快に思われたらすみません。
真面目で人当たりもよく、社会でやっていくのに
なにひとつ不自由のないと思っていた人が
ちょっとしたきっかけで、つもりつもって精神を病んでしまうのだと
だれでも起きることなんだなあと、周りをみて感じました。
誰にとっても他人事ではないのだと。
でも今現状として、そういった精神的な病に対する偏見って
まだまだひどいなあと思うことがあります。
そんなことで休むなんて、心が弱いからだ、甘えだ、ふざけるなと。
果たして本当にそうなんでしょうか。
真面目な人ほどなにかあったときに自分の責任を感じ、自らを責めます。
そしてどんどん自分を追い詰め、心を病んでしまいます。
正常な判断ができなくなります。
最悪の場合には自ら命を絶つ選択をしてしまう人だっています。
そうなってからでは遅いのです。
残念なことに、他人の気持ちを100%理解することは不可能です。
どんなに隣で苦しんでいる人がいても、その苦しみを理解することはできませんし
もちろん代わってあげることもできません。
そのなかで、どうすれば周りが苦しんでいる人のことを
少しでも理解し、親身になってサポートできるのか。
どうやったら精神疾患の理解が進んで偏見がなくなるのか。
そんなことをぼんやりと、しかし自分なりに一生懸命考えてきた
大学院生生活だったように思います。
私のなかで考えた方法は主に2つです。
1つめは、精神疾患について義務教育の段階でしっかりと教えること。
正直、保健体育の授業で、精神疾患についてしっかり習った記憶は私にはありません。
ストレスという言葉を習い、対処法について考えてみましょう、
というような程度だったように記憶しています。
たばこによる肺がんのリスクなどと同様に、もしくはそれ以上に
精神疾患の知識というものはなくてはならないものだと思っています。
そういった知識があれば、いじめなんかも減るんじゃないかなと思っています。
2つめは、何らかの方法で精神的負担の度合いを客観的評価ができるようにすること。
これについては本当に色々な人が色々な研究をしています。
私が考えてきたのもこの点についてです。
実際確固たる指標が出てくるのはまだまだ先なのではないかと思っていますが
客観的に評価できるようになれば、休む際の目安にもなりますし
理解が少しでも得られやすくなるのではないかなと考えています。
今は診断基準も本人による主観的な評価にとどまるものなので
本人が結果を操作することも可能といえば可能で、
その辺も理解の得にくさに繋がっているのではないかと感じている次第です。
(これはあくまで予想ですが)
心の病って心から信頼して相談できる人がいるかどうかという点が
大きく関わってくるのではないかと思っています。
心療内科や精神科って、本当に先生との相性が大事で
誰かにとっての名医が別の人にとっても本当に名医になるとは限らない
というところが難しいなあと思います。
(他の科でもありますが、これらの科は特にその性質が強いと思います。)
でも、心療内科や精神科って普通の人はかかりつけ医っていないと思うんですよね。
お医者さんとまではいかなくても、軽いカウンセリングみたいなものが
美容院のような感覚で通えるといいのになあってぼんやり思った次第です。
普段から信頼関係を築いていざというときに頼れる存在として確保されていると
少しは安心なのかなあと。
そしてそれくらいハードル低く、頼ることができればいいのになあと。
きっとそういう存在が身近に最初からいればそれが一番いいのでしょうけど
いない人にもそういった場が提供できたらいいのになあと。
そんな深夜のぼやき。
長くなってしまったので、おしまい。
