息止めろ‼️
ぐ、ぐるしぃぃいい
ということで今日はイラッとした時の対処法を皆々様に伝授もといお受け伝えて差し上げましょう。
この文章を読んで「こいつ何偉そうに教鞭垂れてんだよ」ってイラッとした箇所があれば是非実践してみてください。
例題1
あなたは向かいから歩いてきた人とすれ違いざま、肩をぶつけられました。どう対処するのが正解でしょう。
1番手っ取り早いのは、30秒息を止めることです。
これはかのひろゆき氏が言っていたことですが。
でも実際これが効果てきめんなんですねぇ。
人間、生命の危機に瀕した時、肩をぶつけられたくらいの一時の感情なんか吹っ飛んでしまうわけですね。そこで息を止めて擬似的生命危機を作り出す。
騙されたと思ってやってみ。
でも、息を止めるだけでは対処できない場合もあります。
例題2
インスタで陽キャアピールやリア充アピールがウザイやつがいます。あなたはインスタをやめたくありません。どう対処するのが正解でしょう。
このように、長期的ないし継続的イライラには、先程の小手先のテクニックは通用しません。
息止めるのは一時のイライラを抑えるだけだからね。
ではどうしたらいいのか。
簡単です。彼らの動機を考えればいいのです。
どういうことだってばよ?説明致しましょう。
例題2の場合の陽キャアピールをする彼の心情を推測してみます。
何故アピールするのか?
それは彼が陽キャあらんと焦っているからです。
真の陽キャや誠のリア充は、インスタなんかする暇ありません。誰が他人に対して自分の幸せを共有したいと考えますか。
根底にあるのは彼の承認欲求です。
そう考えると、彼もまた哀しきこちら側の人間だったのです。
負け犬の遠吠え感が否めないですが。。。
でもこの対処法もかなり強力です。思い込みに陥ってしまう危険性も孕んでいますが、少なくとも自身に関係の無い第三者に対しては絶大な効果を発揮します。
しかぁし、これではイライラに蓋をして自分の感情を「哀れ」という優位性で押さえ込んでいるだけに過ぎない!
ならどうするか。
「哀れ」ではなく「仕方ない」で納得するのです。
この世は善悪二元論で成り立っていません。誰かが言っていたように、善悪というのは観察者の感情のバイアスがかかっているだけです。つまり、この世は好き嫌い二元論なのです。
俺はあいつが嫌いだからあいつは悪い。こいつは好きだからこいつは善い。それが真理です。(この話題についてはまたどこかで話そうかな)
つまり、元を正すと、この世に完全なる悪者なんか居ないのです。(これは人間の多面性からも証明出来る)
悪者だと思っていた人々にも、彼らなりの正当な理由があるのです。
例題1が良い例です。
ぶつかってきた彼はきっとなにかの用事があって急いでいたのでしょう。それかなにか深刻な問題を抱えていて頭がいっぱいだったのかもしれません。
どちらにせよ、自分が同じ立場だったらぶつかったとしても仕方なかったと思えるのではないでしょうか。
例題2に戻ります。彼は哀れなこちら側ではなく、何かしらの理由があってインスタに投稿しているのでしょう。それは我々に対する悪意だけではないはずです。
たとえ明確な理由が推測できなくとも、こちら側に対する悪意による行動ではないことが分かれば、心の炎は弱まるでしょう。
間違っても相手に鬱憤をぶつけるようなことはあってはなりません。また、周囲に八つ当たりしてもいけません。
こちらから相手にやり返すようなことは、全く生産性のない動物の行動です。
前述の通り、本当はこちら側に対して悪意があっての行動では無いかもしれません。もしそうであるにもかかわらずこちらから相手になにかしらの干渉をしてしまえば、それは間違いなくこちらから発生した悪意です。
それに、たとえ相手にやり返しても、心のもやもやは絶対に消えることはありません。復讐はなにも生まないとはまさにその通りだと思います。
怒りの心情はその他全ての感情より抜きん出て伝播しやすいもの。その上(それゆえ?)、1番人間らしさが出るもの。
取り扱いには細心の注意を払わなければなりません。
この怒りという感情は、生物の欠陥だと思いますけどね。
怒りを感じた人は、本能的にそのストレスを発散するため周囲に当たろうとします。
結果、彼自身が周囲の新たなストレッサーとなって、どんどん拡がっていくんですね。
しかもタチの悪いことに、その一番最初は勘違いから発生したものかもしれない。
皆が平和主義でも負の連鎖が始まってしまう可能性があるということです。
今までダラダラと書きなぐってきたことは、我慢することとは違いますよ。
我慢するのは自ら不幸の道に進む愚かな行為です。
「我慢しろ」なんて言う大人になったらダメですよ。「大人である」ことは「我慢する」こととは全く違います。
私が思う「大人な人」というのは、視野が広い人のことです。
自分の立場だけでなく、相手、ひいては周囲の人の立場に立って、客観的に状況を把握できる能力に長けた人であると思います。
また、現在進行形で進んでいる今の状況だけでなく、これから起こるであろう複数の未来の可能性も予見できる人であるとも思います。
だから、違うことは違うとはっきり言える。場の雰囲気に流されず第三者的視点から物事の本質を見抜くことができる。
この点において、相手を慮るばかりの人は「大人な人」だとは言えません。相手に気を使っているつもりが、本当は自分のことしか見えていないなんてことはありませんか?
話が逸れました。
大人な人は我慢なんてしません。納得するのです。自分を納得させる術を身につけている。また、未来を予想できる。怒りに身を任せたらどうなるか、経験から(実際に体験した訳じゃなくても)知っているのです。
偉そうにタラタラ書いてきましたが、私自身「大人な人」には程遠いです。この目から見てる世界は俺自身の世界なんだから、読心術で常に相手の心の声が聞こえるとかじゃない限り第三者の立場になんてなれねぇよ‼️
というか、本当に大人な人なんているのでしょうか?少なくとも私は見た事がありません。
皆大人な振る舞いをしているようで、実際は気力がなく大人しいだけの人達なのです。
真面目な話を書いてしまいました。なれないことはするもんじゃないね。おめぇは馬鹿みたいにうんこうんこ言ってりゃええねん‼️
次回、犬吠埼死す。