心の内に「いつか」富士山に登ってみたい、その想いを抱いたのはいつだっただろう。
それは、単なる憧れで、自分ごとになるのは夢物語とどこか冷めた思いもあったように記憶している。
それが、めぐりあわせのおかげさまで、「できる!大丈夫!」そう言っていただけた。
主人に、メッセンジャー杉浦貴之さんのセミナーでの予祝タイムで、ひすいこたろうさんのイベントでの予祝ワークで。

その後、病的骨折でγネイルに支えられて生かされた日々に一転。
めぐる季節に富士の高嶺を眺めてはその美しさにうっとりするばかりで、憧れの対象であって自分とは別世界という思いは拭い去れなかった。
それでも、何の根拠もなく自分があの頂上に立って大きく伸びをして深呼吸し、ただただ心安らかに穏やかに、「そこにいる」という感覚があるように感じられた。そう、それは今にして思えば過去形の感覚だった。

このご時勢、声高には言うことは憚られるけれども、その過去形の感覚が事実として過去の経験となって、今日の私の生きる糧となった。何とありがたいことだろう。

その道中、素晴らしい出会いがあったことをここに特記しておきたい。


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6合目を過ぎて、じりじりと照り付ける太陽のエネルギーを浴びながら、黙々と一歩、また一歩と歩む中、上の方から伸びやかな男性の声が耳に飛び込んできた。
「お先にどうぞ~。おばあさんですから。ご来光見てきました。95歳です。90歳から毎年登って今年で6回目です!」
男性の母であろう女性がとなりでやさしく静かに、しかし力強く微笑みながら立っている。
「ありがとうございます。素晴らしいエネルギーを分けていただいて!行ってきます~。」
足取りも心も軽く、すれ違いざまにこちらも笑顔で応答させていただく。
何て素敵な年齢の重ね方だろう。そして、こんなにも、ご存在に励まされることがあっただろうか。
しばらく登って下の方で歓声が聞こえる。先ほどの親子が次から次へと登って来る人々を勇気づけ続けている光景が眼下に見えた。

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すべてが必然ですべてに意味があるとしたら。
今私が経験していることはきっと私一人のささやかな経験というだけではなくて、いつかどこかで誰かの希望になるために私が経験させていただけていること。
そう思うと、改めて「せいで」が「おかげで」に昇華させながら、まだまだ生かしていただいている宇宙の采配に、ただただ感謝の思いが溢れるのだった。