7月7日未明、父がなくなりました。
まだ、71歳。
死因は慢性腎不全と死亡診断書には書いてあった。
7日午前2:56
妹からの着信
私、普段はスマホの着信音をサイレントモードにしてるのに、なぜか爆音で着信音が鳴った
(後から聞いたら、息子と一緒にカウシェファームってゆーアプリで野菜を育ててるんやけど、寝る前に水やりする時に、音が出るようにしたとのこと)
音にびっくりして起きて、すぐに電話にでた
寝起きすぎて何も考えてなかった
妹からやってことだけ
「父の心臓が止まってるって…」
衝撃で言葉が出なかった。
妹は父の病院からの着信で、急いで向かってるとのこと。
私も駆けつけたい。
でも、こんな夜中にどうやって?
車もない。
心臓が止まってるって、もう亡くなってる?
2週間前から緩和ケアの病院にいたため、何かあっても心肺蘇生や人工呼吸器などはしないと成約してたと聞いてた。
あと、母が電話に出ない!と。
夜中やから仕方ない
こっちからもかけてはみるけど、やはり出ない
ちなみに母は骨折で整形外科に入院中
(後から聞いたら、整形外科に電話したらすぐにつながって母には知らせてもらえたらしい)
妹が父の病院に到着するまで、、
妙に冷静に、新幹線の始発が何時か調べてた。
早くても実家の最寄駅に着くのが7:45頃
全然無理やん…と思う私
爆睡してた夫を起こし、状況を説明。
妹からの電話で、やはり亡くなったと。
妹が対面出来た時間で、死亡確認。
崩れ落ちた。
7月の3連休に会いに行こうと思ってたのに。
私が最後に父に会ったのはゴールデンウィーク。
でも、前の病院は小学生以下は面会禁止で、父は長く息子に会えてない。
亡くなった病院は、小学生以上は面会出来るし、成約の話も聞いてたから、顔見に帰るつもりだった。
急いで、始発で帰る準備をした。
喪服やら靴やら、あとはしばらく実家に滞在できるように荷物を準備。
5:30前に家を出た。
息子はまだ寝てて、後のことは夫に任せた。
新幹線の中で、父のことを考えた。
12月に祖父が亡くなったばかり。
祖父は96歳だった。
施設で眠るように亡くなってたらしく、最期に会うことはできなかったけど、ありがとうって思えた。
最後まで自分で歩き、食事もできてた。
大往生だねって、いいお葬式だった。
天国でおばあちゃんが待ってるねって。
おじいちゃんを看取り、ほっとしたのかな。
最近は人工透析をしていて、容態も悪化したりマシになったりを繰り返し。
透析や薬の影響か、身体が痒くて血まみれ。
そこから感染症を起こし、容態悪化。
見ているこっちも辛かった。
近くにいた母はもっと辛かっただろう。
前の病院では、身体を掻かないようベッドに手首をくくりつけられてて。
お見舞いに行くたびに外してくれと言ってた。
調子が悪くなると食事もできず、ただ透析をして痛みやかゆみに耐える寝たきりの毎日。
正直、何のために生きてるんやろう。
つらいだけなら、早く逝かせてあげたいと思ったりもしてた。
父の姿を見て、自分なら耐えがたいと思った。
最寄り駅に到着。
妹が迎えに来てくれて、葬儀場へ向かった。
妹は泣き腫らした顔をしてた。
父はもう葬儀場へ運ばれたらしい。
なんとなく、まだ病院にいて白い布をかけられた父と対面するのかと思いきや、、
もう葬儀場も決まって、運ばれてて、スピード感についていけない。
葬儀場で父を見たら、やっと現実として受け止めたんかな、涙が溢れてきた。
あぁ、ほんまに亡くなったんやな。
最期に会いにいけなくてごめんね。
痛みや苦しみから解放されて、よかったね。
父はもう冷たかった。
もっと早く駆けつけたかった。
そんな気持ちやったと思う。
妹は葬儀屋さんと葬儀についていろいろ話をしていて、あぁ、ゆっくり悲しんでられないってよく聞くな〜って思った。
そして、母がいないことに気づく。
まだ整形外科にいるらしい。
朝イチでレントゲン撮ってからでないと、外出を認められないらしい。
夫が亡くなったのに?!
そんな重症でもないのに、、と整形外科の対応に疑問を抱く。
(父が入院中で、母は今は一人暮らしみたいやもんやから入院させてもらってて、家族がいれば入院するほどではない骨折やと聞いてた)
母は父と対面するも、泣くこともなく、すぐに葬儀屋さんと話をすすめてた。
ダブルで入院してたから、1ヶ月近く会ってなかったらしい。
まだ、実感がわいてないんやろうなぁ。
鬱病もあるから、母が心配。
今は入院してるから、メンタルが安定しているけど、、
入院して、生活が整って、まわりに話をする人がいると安定するみたい。
退院して、ひとりになった時が心配。。