Fight with myself !

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今でも覚えている2016年2月7日の謎の湿疹勃発・・
こいつのせいで大好きな仕事も休業状態に・・

絶対にねじ伏せてやる!

カナダでの日常やお仕事の事
たまに彼氏の大西君(中国人)としっぽフリフリテキーラしっぽフリフリが出てくるブログですドキドキ

カナダ9年生、やっとわかりかけてきたのに中国文化は全然わからない状態雨

いや、しかし、中国文化もきっと理解できるはず!頑張ろう!

ブログを通じて

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まだまだ、勉強していきたいことがたくさんですヒヨコ

カナダは寒くなってきて紅葉がキレイな時期ですハロウィン
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4月には大学院には無事に合格しましたが、椅子に座っても教科書にはなかなか集中すること
ができませんでした。

上半身のほとんどの皮膚の表皮が界面活性剤で溶けていたらしくやけどみたいになっていました。
同じ内容のブログを毎日読みあさり、表皮や界面活性剤に関する文献も読んでやはり自然治癒の
方向性で行こうと決めました。

母親がいない時に、自分の部屋のものを全て投げてぐちゃぐちゃにしました。
人生を真面目にやってきたつもりだったのに、なぜこんな目に合わなくてはいけないのかと。
大声で泣き叫びました。

4月末〜5月にかけてカナダから彼氏が来ました。
本当は東京に来るはずだったのに急遽予定変更です。

せっかく来てくれても、下着もつけれなかったので毎日同じ服で近所のショッピングモールに行きました。
それでも、外に出るのは3時間くらいが限界で帰ってくるやいなや
嗚咽が出るほど全身を掻かないといてもたってもいられなくなりました。

一度、両親が彼氏を京都に連れて行くと行って計画をしてくれました。
その日の朝、凄まじい痛みで朝起きました。なぜだかはわかりません。

部屋から出て、すぐに保冷剤を取りに行かなければいけないほど身体が真っ赤でした。
表皮がないところに綿やレーヨンの服は刺激が強すぎたんだと今は思っています。

リビングで保冷剤を身体にあてながら泣きました。
それを母親が見て「大丈夫だよ。頑張ってるよ」と言ってくれました。

京都に行っても膝裏からはち血が流れ出てて、思うように歩けませんでした。
この頃には「自分は知らない間に何か悪いことをしてたんだ。だからバチが当たったんだ」
と思い込むようになりました。

京都から帰ってきてジーパンを見ると、膝の裏のところにはべったりと血が付いていました。

彼氏は「大丈夫、大丈夫。すぐに治るよ」と言ってくれたけど、信じることができなかったな。

5月だったのに表皮がなくなっていたせいで身体の温度調節ができなくなっていました。
湯たんぽを持ち歩いて、太ももには今も低温火傷の後が残っています。


今日やったこと:「仕事探し」と「大学院レポート」
8月も終盤ですね。夏も終わりです。

現実社会では誰にも言えないのでここに書きます。

今年の1月、大学院受験を前に身体の異変に気付きました。
12月までは身体の部分部分がかゆいだけ
で久しぶりの日本の夏に汗疹ができたのかな?くらいで思っていました。

お風呂も普通に入っていたし、普通の生活をしていました。

そして1月の後半から一睡もできないほどに身体が痛く、痒くなってきました。
全身鏡がなかったせいで身体の状態はわからなかったけれど、腕は真っ赤だし、顔から下は
真っ赤で火照って、服がコンクリートのように皮膚にこすれている感じでした。

その頃は原因もわからず「食べ物が悪いんだ」と内因的な要因だと自分で思い込んでいて
食べ物も小麦をやめ、有機野菜しか取らず、一切の間食を止めました。

すると、みるみるうちに52キロから44キロまで体重が減ってしまいました。
だけど湿疹は治らず、むしろ悪化し仕事から帰ってきてもベットの上で保冷剤を身体にあてながら
時間が過ぎるのを待っているだけ。椅子に座ると猛烈な痛みとかゆみで今までできていた仕事が
手につかず、セッションの時も身体が痒くて痛くて死にそうでどうしても普段のように「子どもの
ことを考えて進めるセラピー」ではなくなってしまったんです。身体が痛いから、かゆいから・・と
セラピーに集中できなくてどうしようと思っていました。

2月14日、身体が真っ赤のまま大学院を受験しました。スーツを着て少し歩ければあったかくなるような
気候でしたが私には地獄のような時間で少しでも汗が出ると動けなくなるほど痒くて痛くて仕方がなかった。

そこから一週間、身体は悪化し続けて家にいる間は床に座る事しかできなくなっていました。
食べ物も必要だという考えから、食べなければ悪化しないはずだという考えに偏り(実際、空腹時の
方が痒くなかったので)始め、食事は必要最低限のスープでした。

実家に避難しようかと思いましたが、実際電車や飛行機に乗ると振動の度に服が擦れるので
そこで悶絶する痛みや痒みが出てきて本当にそんな小さな事が耐えられなかったんです。

そして、正常な判断ができなくなってきた一週間後、私はクライエントに無理を言ってお休みをもらいました。ご迷惑をおかけしました。本当にごめんなさい。

実家に帰ってからステロイドを塗るか塗らないかの葛藤です。
地元の皮膚科に行くと「中等度アトピー性皮膚炎」と診断されました。先生に「ステロイドは・・」
と言葉を濁すと面倒くさそうに「じゃぁプロトピックね」と言われました。

ステロイドに関して、私は賛成派か否定派かという判断は今はできません。
だけれど、連続しての6週間の塗布後に皮膚の萎縮が始まる薬を身体の80%に塗ることに対して
正直、不安感がありました。医学に反することはわかっています。
だけれど、身近でステロイドを塗ってもアトピーが治らない人を見てきました。

論理的判断ができなくなっていたのは認めます。
正常な判断ができなくなっていました。
毎日、ほとんど眠れず仕事を投げ出して、だけれど身体は傷だらけ、真っ赤で真っ茶色で
この傷も湿疹も色素沈着も一生残ると、セラピーを行う時に汗もかけない、水着も着れない、何も出来ない。
こんな身体では仕事が思う存分出来ない。机にも座れない。
何もできない。とってもとっても不安でした。

身体の異常が何が原因で起こっていたのかを知る術を持っていませんでした。

そこからは「何でこんなことになってしまったんだ」と毎日考えていました。
ちょうどお休みをもらっている時に友達の結婚式がありました。どうしても出席しなければいけませんでした。幸せそうでした。

出席者は皆綺麗な格好をしていました。
きっと、ワンピースの下に綿の長袖を着ていたのは私だけだと思います。

お風呂も入ると猛烈な痛みに襲われました。風呂上がりは1時間くらい座って身体を掻かなくては
落ち着きませんでした。この頃にお風呂に入るのをやめました。

頭には、東京においてきた仕事の事がありました。
一秒たりとも忘れた事はありませんでした。

日本で初めて、信頼してくれて子どもを任せてくれたご家族の事。
一人で全部やっていて、正直カナダとは勝手が違うし、教材も全て日本語に直さなければいけなく
て大変でした。だけど、やりがいがあった。子ども達は本当に賢くて、セラピーも好きでいてくれて
お話も本当に上手になってすごいと思いました。心の底から。

だけど私はいきなり休んだんだ。

体調のせいだからしょうがないと人は言うけど、私にとってこの家族は特別だったんです。
しょうがないとか、そんな簡単に諦められるようなことじゃないんです。

彼女の成長は凄まじかった。始めた時は2歳くらいの言語能力だったのに1年後には
足し算ができて、いろんな人とお話しができるようになった。
私の頭の中には常に彼女と一緒に次はどんな楽しいプログラムをしようというアイデアが
いっぱいあったんです。

しょうがない、とかじゃない。
だけど、とか言いたくないんです。

でも、私は仕事を辞めることを選びました。
どうしても、どんなに頑張っても、身体が思うように動かなくなってしまった。

目の前にいる子どもよりも自分の痛いや痒いの方が勝ってしまって世界にフィルターがかかるように
なってしまった。

身体のせいで仕事ができないのか、
仕事が辛くて身体に出てきてしまったのか。

もう、どちらが本当なのかを正常に考える事ができなくなってしまっていました。
どうしても理想としていた仕事ができなくなってしまっていました。

そこから実家に帰ってきて、福岡の先生にきちんとした診断をしてもらいました。
原因がわかってからも、本当に治るのかがわからなくて毎日鬱々と過ごしていました。
やっと夜をきちんと寝れるようになってきたのが7月。
そこまでは外には一歩も出ませんでした。

今は8月。肌は色素沈着が残るだけです。
今はちゃんと服も着れます。外にも出る事ができます。

だけど、やめてしまった仕事は戻ってきません。
自分が自ら離してしまった。



私はもう今はどうしていいかわからない。
本当に悔しくてたまらない。

あの時、どう判断をすればよかったのは今でもわからないんです。

肌の疾患というと軽く見られがちです。
私も今回の件があるまでこんなに重大な事だなんて思わなかった。

肌が治ってきて・・正直思う事は


私は「やっぱり、仕事が好きだった」ということだけです。


でも、なくしてしまった自信をどう取り戻せばいいのかわからない。

本当に悔しくて悔しくて・・これからどうすればいいのか・・どうしていいかわかりません。

大阪は今日、38度を超えたそうです。

お湯かっつーの。

さて、洗剤にやられた肌は着々と本来の姿を取り戻している・・・気がします。

風呂に入らんので、ちょっとたまに水を浴びると出るわ出るわ、俗に言う垢というもの。
実はターンオーバーしまくった肌なんですが、ちょっとこすると真っ白な肌が出てきて
おります。

しかし、まだ完璧に治ってないところにこの夏の暑さはイカーーン。

普通の肌ならいいんだけど、ダメージ受けているところに汗はいかんね。
しかし、先生が言ってた夏には治るですが・・・


いや、まだ無理っぽい。
一番ダメージ受けた背中がごっつい大変・・・


もうすべすべしてて鳥肌の最終形態に入ってるんですが鳥肌が手強い・・


院のレポートが今学期の最初は肌の事で出来なかったので
回復した今はだいぶ、駆け込みでやっています。

これ終わったら福岡とぶぞ〜〜〜!

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ふふふ。中国から入手したイクタモール💗

これに亜鉛華パウダーとワセリンちょびっと混ぜて自分で軟膏を作り出すという事をしています。


うん、先生に怒られそう。

肌断食していいやら悪いやら〜。

ヒアルプロテクト、良いとおもってたんですが、なんか頬に塗ると熱がこもる感じになってしまいます。

うーむ。基本、市販のでも大丈夫なのにな。

なぜだろう。

まぁ、何も塗らんのが一番だと思うので放置します!ツルツルスベスベになれ〜!

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製薬中。

この前、ふと自分の足を見ると







かかとのガサガサがなくなっておりびっくり!

ツルツル〜!


前までは白くなって角質がボロボロ取れていたのに。


本当に、今回のことで常識覆りました。


そして、今は頑張って大学院のレポートを入浴習慣と皮膚炎を題材に書こうと思っています。

今まで調べ倒してきたことをお医者さんにぶっつけるチャンス!



うれしー!