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ここでこのホットケーキを食べると、
この上ない幸福を感じるのは何故だろう。

好きなカフェはたくさんある。
食べ物がおいしいカフェもたくさんある。

でも、この幸福感を得られるのはここだけ。

この幸福感の正体は何だろう。

黙々と、ホットケーキを焼き上げる店主と、
その店主を支えるお姉さん。

その店主が焼いた、フワッと口の中でとろけるホットケーキ。

様々な人種が行き交い、決して「綺麗」ではない錦糸町という街で、
時を刻んできたお店そのもの。

その全てに身を置いたとき、
何だか一人の血が通った人間を取り戻したような気持ちになって、
私は「幸福」を感じるのだろう。

ともすれば自分を圧し殺し過ごす毎日の中で立ち行かなくなったとき、
またトミィに来よう。
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今の住まいから割と近所にある、
今何かと話題の地、清澄白河。

かつて私はここで人生における
貴重な時間の一部を過ごした。

そのときの自分は、今思い出しても決して
美化することが出来ないくらい、
泥臭くて無鉄砲で、自分本位な恥ずかしい人間だった。

そして、未だにそのときの自分を知る人間がここにいるだろうし、
何よりそんな自分を思い出すことが苦しくて、
何となくこの地に来ることを避けていた。

とはいえ、細切れにはこの地を訪れており、
掲題のfukadasou cafeに来た折、やっとのことで気がついたことがある。

ー後輩たち制服が変わってる。

変わった暑苦しい色使いは息を潜め、
爽やかで清楚な雰囲気を纏ったその制服を見たとき、
ああ、私はなんて馬鹿なんだろうと思った。

昔の自分を恥じて立ち止まっているのは私だけで、
この地の時は確実に進んでいるのだ。

変わった制服しかり、カフェ進出しかり、
この地は松尾芭蕉の所縁の地で、都内有数の庭園があるだけではない街になっている。

時が確実に進んでいることを感じたとき、
過去に変に囚われ勝手に時を止めている自分自身を恥じた。
まるであの頃から変わっていないじゃないか。

時を進めなきゃ。

珈琲を飲みながら、
かつてあの制服を着た自分の幻を見ながら、
そう思わずにはいられなかった。


お金が無い学生生活を送り、お金がないことの惨めさ、特に女の場合は着飾ることが出来ないから私なんかの場合、身なりを人と比べてしまったりもして(外見がくそみたいなので余計に)、「幸せ」は物質的な豊かさではないと口先では言いつつも、惨めにはなりなくない、なるもんか、との想いから、やはりお金がある人のほうが幸せだとどこかで思っていました。

社会人になり、正社員で社畜、馬車馬よろしく働き、小さな社会の中ではありましたがそれなりに昇進もし、でも給料は大企業の同年代と比べたらちっぽけな額でしたが(毎年の春闘でのベースアップ額が羨ましい、というか別世界の話のよう)、まぁ国内止まりではあるものの旅行に行ったり、細々と化粧品や服を買ったり、時々エステの様なところにも行ったり、私なりに豊かな生活を送っていました。

が、社畜、馬車馬の様な毎日は永遠に続かないんですよね。

昨年末、ついに身体と心の両方壊しまして、まともに働けなくなりました。

いや、私は何度も言いますが仕事は好きなんです。
じゃあ何がダメだったかって、自分が納得できなかったんですよね、仕事に。
仕事だと思って我慢すりゃいいものの、それができない。
仕事に清廉性ややり甲斐や、良好で切磋琢磨できる人間関係や、達成感を求めてしまう。
それを仕事以外で求めてバランスとれば良いものの、不器用な私はそれができず、仕事に求めてしまう。
我慢して表面はにこにこして、やり過ごせばいいのにさぁ。

で、上手く働けなくなって、そうすると今までの生活が壊れるのは怖いけれど、自分が壊れるのと背中合わせで働くことって果たして幸せなんかな、って思ったり、我慢の連続で持病、といってもアトピーなんですけど、女だからね、肌荒れてると死にたくなるときもあって、それが悪化したりで、そんな生活が豊かっていえるのかな、って思い始めたり。

といってもまだ働いているんですけど。

むかし、なりたかった大人に今の自分はなれてないなぁ、と。
むしろ、何一つあの頃から変わってないんじゃないかなぁ、と。
そんな自分が恥ずかしくて、所縁ある人に会ったり、むかし過ごした土地に行くこと避けていたりもする。

私はどこへ行くのかフラフラフラ。
夜明けは待っているだけでは来ないみたい。

きっかけは、芦田愛菜主演の映画を視聴したことから。

言うまでもなく、かの方が出演していたので観に行ったものの、なかなか心に残る作品だったので原作も読もうかと。

まず思ったことは、映画はかなり原作に忠実に作られていたということ。
変なアレンジや曲がった解釈もなく、出演者に違和感もなく、近年稀に見るような忠実に原作を映画化した作品に思えた。

そして原作では文章が軽快でそのリズムがとても心地よい。
原作者の西さんは大阪出身とのことで、「なるほど」と思ったのだけれど、おそらく関東出身には生み出せないリズム。
加えて単語のチョイスや使い方がこの小説の骨となって、我々読者に主題を訴えかけてくる。

作中、「イマジン」(想像すること)について描かれている場面があるが、そこがまた説教くさくなくて良い。
こっこの、人と違うものをもった人に憧れる気持ち、平凡で幸せとも取れる家族がいるのに孤独を求める気持ち、ああわかるわかる、在りし日の私もそうだった、と思いながら、そして、イマジンを教える石太や、幼馴染のぼっさんのような理解者が自分にもいたらなー、なんて、今更どうにもならないことも思ったり。

できることは、身近にこっこの様な存在ができたら、自分が子供の頃欲しかった理解者になってあげることかなあ。