(スピリチュアル)が嫌い!という人がいるが、

私もずっと好きではなかった。


でもゆきさんスピリチュアルな人でしょ?って聞かれると思うが、それさえも嫌だった。


─────────


何で嫌なのかな。と考えた。


そして、最近ふと思った。


たぶん(スピリチュアル)に対する依存のエネルギーが嫌なんだと感じた。


そして、スピリチュアルを(スピ)って呼ぶのも嫌い。


軽々し過ぎると感じて嫌い。


言葉にしてこなかったが、

スピリチュアルはそんな軽い物では無い。と感じて嫌い。


だからなんかいつも違和感を感じる。


─────────


知り合いにこの話をしたら、彼が海外で高僧のお話を聞く機会があった時の話をしてくれた。


その高僧の英語での長いスピーチの中に《スピリチュアル》と言う言葉が出て来たという。


彼は、『いつも聞いている《スピリチュアル》と違うものを感じた。』と言った。


『僕はその高僧が言った《スピリチュアル》と言う言葉が本当の《スピリチュアル》だと思う。』と言った。


私はそこに力と光を感じた。


『私もそう思う』と答えた。


─────────


私は(依存のスピリチュアル)は嫌いで

(本物のスピリチュアル)は好きなのだ。


本当、本物のスピリチュアルは(強い)。


決して依存させない。


私達、スピリットが進化する為にある(光の指標)

それが本当のスピリチュアルだ。


─────────


と言うか、

ここまで書いてからなんだが、


こんな話、実はどうでもいいのだ。


本当のスピリチュアルの中にいると


そんなのものは実はどうでもいいのだ。


人間はいろんなことを学んでいるんだから。


─────────


そこには、

(ある)だけなんだ。


宇宙の粒に溶けて、

何も無い、


光に溶けて、

あるがまま


進化を続けて光りに還帰る、


それが《スピリチュアル》ではないか。


─────────


私はその中に生きる。


そのように生きる。


そう思う。


─────────


今日は少し辛口で書いちゃった。


なんか嫌なこと書いてあってゆきさんのFacebookお友達やめようと友達外す人もいるかもなと思いながら書いている笑


でも、いいんだ。


それも私だ。


あるがままだ。


傷つくな私。

心折れるな私。


光りにいつか還帰るんだ。


そう、いつか。


これがスピリチュアルと一生を共にすると

覚悟した私の生き方なんだから、

進化するしかないんだから。

というか進化させていただけるんだから。

それが最高の幸せなのだから。

と感謝の想いで

締めくくる。


ps

本当のスピリチュアルで生きた方達、

いつか星で逢いましょう。

この事いつか語りましょう。

おやすみ〜💤✨✨