大人の喧騒の中で無邪気についついその喧騒にチャチャを入れてしまう少年。
でも
じっと見つめる少年。
Mayに入団して…いや、入団する前から数えて
今までの僕の作品ではなかったパターンを演じている。
昔から子どもたちは、葬儀や法事の深刻な空気の前では、おそらく自分なりに場を明るくしようとして空回ってしまう
そんな事ばかりだった。
そこで大人に怒られて、場を読むことを覚えていく。
チセ演じるファンスはそんな役。
チセの役は今回、よくウケる。
そんな役を初めて実感して、確かな自信を持ち始めた。
それはひとつの成長へと繋がる。
そして
後半戦で要となる小道具のスマホを忘れて舞台に出た。
この場面が終わるまで、チセは袖に帰れない。
父役の中鶴間大陽こと鶴ちゃんが、何回か袖に戻ってこれる機会があり、舞台監督の今井さんと相談して、機転を効かせてくれた。
雑談が続く場面の中でチセは最初、鶴ちゃんのスマホを使おうとして、おかしいと思った鶴ちゃんがチセに尋ねた。
小声で尋ねると「スマホを楽屋に忘れた」と呟いた。
そこで鶴ちゃんが、焦りつつも機転を利かした。
自分のを貸せないのではなく、鶴ちゃんのはダミーのもので、チセのはカメラが起動されないといけない。
子役にとっては相当恐怖だったと思う。
小道具を忘れたこと、チェックしなかった事はもちろんダメな事だけど、場面進行を妨げないように自分なりに対処しようとした事は、これもまたひとつの度胸と成長だ。
チセはひとつの作品、ひとつの回の中で
対極にある自信と恐怖を経験した。
終演後に頭を撫でて
「舞台監督さんと鶴ちゃんに、ちゃんと謝って、そして御礼を言いや」
と言うと、チセは本当に実感して謝って御礼を言った。
子どもは社会の中で、成長の中で、何がなにやらわからないまま
「御礼をいいなさい」
「謝りなさい」
と言われる事が多い。
今回のように自分で経験して自分で実感するのは貴重な体験。
チセの担任の先生が観にきてくださった。
チセには、僕には知らない側面のチセの社会がある。
そして
彼女の社会の大人たちが知らない側面の僕たちの空間でも生きている。
担任の先生も帰りの際に
「彼女はこんな世界の中で生きてたんですね」
と、チセのひとつの社会に持たないといけない責任とは違う顔で感心していた。
もちろん、僕に見せるその顔はチセには見せない。それも先生が守るべき責任なのだから。
社会は人口が増えすぎて
いつのまにか平均で割って
「何歳までにこれができないとダメ」
「いついつまでにこれを理解しないとダメ」
と、子どもの中に流れる体内成長を無理やり組み替えるようになった。
でも
子どもが実感できる体内成長はそれぞれ個性的だ。
牛歩かも知れないけど、チセは確かに確かに成長している。