十代のペン | デペイズマンの蜃気楼

デペイズマンの蜃気楼

日々の想った事、出会い、出来事などなどをエッセイのように綴りたいなと。
時折偏見を乱心のように無心に語ります。

小学校の頃から
「脚本を書きたい」
と言ってたチセだけど、先日10分ほどの二人芝居を執筆してきた。
子どもたちに演劇を教えてたころ「一度脚本を書いてみよう」と教えたところ、実に様々な書き方で様々な脚本が提出されてきて、みんな個性豊かで当然面白くて、そしてチセの脚本も面白かった。
当時書いた脚本は二本あって、どちらも未完成だったと記憶している。
一本は、チセが偉人伝が大好きでよく読んでいて、そこから脚本に起こしたものだった。
正しくは[脚色]というものか。
全くの荒削りの、テクニックはまだ学んでいないものだったけど、面白い出だして脚色においては「あぁ、おそらくこれが彼女の個性に育つセリフの書き方だろうな」と思った。

先日執筆してきた二人芝居で
「あれ?Mayは誰が出るの??」
と当然のように質問すると
「Mayの出番はない」
との事。

長年演劇をやってきて、いつだって初心のまま頑張っているつもりだったけど、その[つもり]も甘えだった。
「小さな劇団をやってるからって、毎公演当たり前に[役]があると思うな」
と、時折団員たちに喝を入れるけど、まだまだ僕にもその意識は根付いていたのだ。
チセが書いたら当たり前にMayの誰かが出演するのだと、錯覚していた(汗)

二人とも大学生の役やしね…。

そして昨日。
最近構想している脚本の話を熱く語ってくれた。
社会的なSFなのだろうか?
今自分が置かれている環境の中で自分の立ち位置に孤独と、そして奥底の孤独を含んだ物語。
脳内は日々成長しているな。

ちょっと人数が多そうなので、また質問してみた。

「Mayは出演できる場所はあるん?」

チセの答

「うーん、あるんちゃう?」

大先生の脚本は狭き門である。
「あるんちゃう?というレベルか」
と笑い飛ばしていると、チセは真面目に

「やっぱり自分が今この年齢やから、自分にとってリアルな年代しか書けない。
Mayの人らの年齢を生きてないから、Mayの人らが出るような本をまだ書かれへんねん」

ぐうの音も出ない…。
ぐうの音も出ないので
Mayはこれより何年…いや何十年は

エキストラ…?

かつてエキストラとしてボロカス言われながら参加していた撮影現場を思い出そう。笑

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