色んな角度を見せてもらって、戸惑いながらも羨ましさや、苦笑いや、傍観、時には共鳴など。
いずれチセがこういう話し方、こういう距離、こういう交流、こういう成長、こういう壁を経験するんだと思うと、やっぱり「接する」というのは大切なんだと思う。
話していて、ふと「彼ら彼女らは、子どもの世代なんだ」と気付くと、総じて[生意気]という元気さにただ耳を傾けるのが楽しい。
思い返して、生意気な僕の発言を、ただただ眺めてくれていた人たちを思い出す。
「大人になる」という事を、大人になっているはずの今も、それがどういう事なのかわからない。
でも。
もしかしたら「大人になる」というのは、かつてただ見てくれていた大人たちの目を実感していく作業なのかも知れない。