特に中指と小指の先の皮が厚くなってきた。
ギターを教えてもらっていよいよ一ヶ月。
一ヶ月でどれくらい上達すればセーフなのかわからない。
大きな音を出せる場所が少ないので、ピックで大きくストロークできる日もあれば、できない日は小さめに指で弾く。
うまく音が出る時もあれば、安心した次の瞬間に気が緩んで「ビビーン」という情けない音になる。
集中と不慣れは指先に顕著に表れるので、グーッと弦を押さえる。
しばらく集中して弾いていると、指一点に感覚を押し付けているせいか、嘔吐感が湧いてくる。
いつ頃からか僕は呼吸法に問題がある。
舞台上ではもう10年以上悩んでいることで、ここ最近でようやく内臓に欠陥があった事が判明したのだけど、ならば尚更、腹式と喉に気をつけないといけない。
嘔吐感は一点集中をさらに点に集中させた時に起こりやすい。
弦を押さえる小指の痛みが、その次の段階で麻痺した時に気分が悪くなる。
そうなると音がブレだして、それでも我慢して弾くと頭が痺れてくる。
そこで思い切って休憩をするか、その日はやめてしまう。
ギターの「ジャラーン」という均等の取れた音というのは、つまりは人が正しく呼吸をしてこそ鳴るものなのだ。
そして呼吸というのは正しい生活をしているか、という事だ。
音はその人の生活に嘘をつかないし、つかせない。
音には誠実でないと、音は応えてくれない。
そして正しい生活というのは、酒もタバコもやめて、9時には寝て7時には起きて、毎日ジョギングして、野菜を多めにとって、というシステムの事ではない。
音に対しての正しい生活は、その人によって違う。
学生時代。絵の師匠は尊敬する画家の線を出すために、その画家が歩んだ旅と同じ道で大陸横断をして、数年をパリで過ごした。
そしてとある有名画家の線を極めるために模倣を繰り返して、どうしても出せない線を追求していくうちに、その画家が左右の手を自在に使っていた事や、さらにはキャンパスの裏から回って抱きかかえるように描いている線もある事を知った。
それと同じく、音にはその人、その人、個人の誠実さがある。
麻薬に溺れて身を破滅させた伝説のミュージシャンたちは少なくないが、彼らはそうする事で自分の音に誠実であったのだと思う。
もちろんそれを模倣して、酔いしれるだけで音に誠実になれずに滅んだ人たちも大勢いるだろう。
その反面、老いてもなおトレーニングを繰り返して、日々の食生活にも気を配るミュージシャンも、そうする事がその人の誠実さなのだ。
人として接するとクソなのに、素晴らしい演奏をする人がいたとする。
その人は他人には誠実ではなくても、自分の音には誠実であったんだ。
生きていると、腹の立つ人間が富を得たり、それぞれの分野で成功している姿を見て「なんであんな奴が」と悔しがる事は多々経験する。
そんな者たちは、僕には、あなたには、誠実で応えてくれなかったけど、お金や自分の目指す場所には誠実だったんだろう。
聖人君子は存在しないし、もし聖人君子であろうとするならば、それは芸術という病的な追求行動からすれば、八方美人に他ならないのかも知れない。
遥か遥か昔に「表現」という姿に変身したメフィストフェレスは一人のファウストを操りながら、未来永劫多くの魂を獲得し続けてきたのだろう。