当の本人たちがさほど重きを置いてない言葉でも、それは今でも僕に刻まれていたり、今になって気付いたりの毎日だ。
大人たちも教えてくれたけど、同世代、同年代にも教わった事はたくさんある。
同い年、同じ世代なのに、教えてくれた者たちはみんな早くから大人だった。
もちろん本人たちだって知識だけの背伸びで言った、見せた態度かも知れない。
それでも僕が今過去に戻っても、その年齢ではできない強い発言や強い態度だったと思う。
僕は元来、実年齢に対して本当に精神年齢が低い。
僕が誰かの糧となってる発言や振る舞いをできた事など、いくら思い返しても記憶の片隅にもない。
与えられ続けてばかりで、与えたことはない。
それどころか、掻き乱してきた事しか思い出せず、今も変わらない。
僕は「人より長けているもの」を何一つ持ち合わせていない。
町に溢れる名もなき絵の配色ひとつを目にしても、教わるばかりだ。
このまま死ぬまで僕は世の中の生徒なのだろう。
そう考えると、ひとつの「死」は、ひとつの卒業なのであり、来世があるなら、それは今生で学んだ事をどう活かせるかの次なる進級なのかも知れない。
命のデータは永遠に学び合ってループを繰り返す。