公演の記憶を追憶とするため 2 | デペイズマンの蜃気楼

デペイズマンの蜃気楼

日々の想った事、出会い、出来事などなどをエッセイのように綴りたいなと。
時折偏見を乱心のように無心に語ります。


いつくらいからだろう。
ペーペーの頃に観た舞台に出演していた先輩たちと、今になって縁を繋ぐ事が多くなった最近。
色んな人から「キムくんと大竹野さんは似ている」という言葉を聞くようになった。
どういう意味かはわからないし、正直今もわからない。
けど遅ればせながら拝見させて頂いた作品を思うと、照れながら「ありがとうございます」という言葉だけが素直に出てくる。

やっぱりわからないけど。

稽古中も稽古後の酒の席でも、調子こいて口で暴れる僕を先輩たちはニコニコと笑って受け止めてくれる。
電車のつり革を掴みながら、ほろ酔いの赤みで「大竹野が生きてたら、キムくんと映画の話で盛り上がってたやろなぁ」と何度も笑顔で話してくださった。
稽古を終えて本番を終えて、氏がたくさんの人に刻んだ影響力を何度も実感した。
まだまだ学べる出会いがたくさんあったのが一番の証拠だ。

2日目の本番前に受付の机に写真が飾ってあったので、土産ものでもらった韓国の焼酎をお供えした。
途端、本番中に持ったポリバケツの取っ手が破損するアクシデントが起きてハラハラした。
見守る人を酔わしたら何をするかわからないな(笑)

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きっと去る時にたくさんのたくさんの人が「ありがとうございました」と一杯叫んだだろう。
僕は今、大竹野さんの作品と向かいあえて、今、たくさんの人と出会いが始まった。
だから「ありがとうございました」にはまだまだ出遅れていて、公演を終えた今も
「ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします」
という気持ちだ。

そして「去る」という歩みを演劇の先輩が教えてくれた事は二つ。

作家は死ぬまで仕事して、死んでからが作品がさらなる命を得て、もっともっと仕事が忙しくなるという事。
作家は死ぬまで出会って、死んでからが作品がさらなる命を得て、まだ見ぬ世代と出会い続けるという事。

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そして、僕の後ろにはいっぱい教えていっぱい一緒に歩く新世代たちがいる。
そんな新世代たちが「キムチョリが生きてたら~」という言葉を聞かなくていいように足を引きずりながらでも、匍匐前進で地面の痛みを感じながらでも生きて行こうと思う事。

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ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。