東輝英語塾は高校生と中学生を対象として調布(東京都調布市)と多摩センター(東京都多摩市)で生徒を集めている学習塾である。塾長・園山泰堂氏が発信しているブログを読んだところ、奇妙な点が散見されたため、公正に批判しておきたい。

(1)深刻なのは学歴詐称である。氏は自身の出身を京都府立大学・英米文学科と書いているが、このような学科は同大学の沿革を調べても、一切出てこない。園山氏の経歴と照らし合わせると、園山氏の出身は京都府立大学文学科西洋文学専攻である。文学科西洋文学専攻と書くよりも英米文学科と書く方が英語塾の塾長として箔が付くと考えたわけであろうが、端的に学歴詐称であり、氏が運営する東輝英語塾に対する信頼を失墜させている。

詐称箇所は「「センター試験でへこむ」のは当たり前」(2013/01/20 20:05:13)。「私は「京都府立大学・英米文学科」を第一志望にし、センター試験後の合格予測では、見事なまでにいずれの予備校からも「E判定」「E判定」「E判定」「E判定」を頂いた。しかし、無視して受けたら合格できた。(自分の得意な英語と世界史で、絶対に逆転できる、という自信があったからである)」

(2)個人情報の取り扱いに配慮が足りない。園山氏のブログには生徒の志望先や合否の情報が頻繁に晒されている。見る人が見たら、誰のことかまるわかりである。本来引用に耐えないが、園山氏の意識変革のためにあえて引用したい。

以下、「明日ありと思う心の仇桜」(2018/03/25 13:02:19)より。
「●●君  明治大(理工)、中央大(セ)、上智大(補)、都市大(特待)、電通大(特待)
●●君  慶應大(理工)、明治大(理工)、青山学院大(セ)、九州大(工)
●●さん 早稲田大(教育)、東京理科大(セ)、明治大(商、経)、青山学院大(経)
●●さん 早稲田大(文構)、立教大(文)、成城大(セ)
●●君  立教大(コミ福)、青山学院大(地社)、法政大(人環)、成城大(特待)
●●さん 法政大(経)、中央大(経)、成蹊大(セ)
●●さん 津田塾大(国際)、日本女子大(人社)

(3)私的ブログを利用して英語史に関する虚偽情報を広めている。一例を挙げれば、IとJは近世までヨーロッパ諸国で同じ意味の文字として使われていたが、16世紀にフランスの有力な哲学者ピエール・デ・ラ・ラメー(国際名ペトルス・ラムス)が使い分けを提唱し、国際的に別の文字という扱いになったという事実がある。しかし園山氏は、英語の主語《I》が《J》という文字を生みだした、というデタラメを広めている。

この虚偽記載は、「私の歴史」(2013/05/14 23:34:25)。「それから時を経て、再び"i"についての議論が巻き起こる。「"i"の見た目、どうにかならんか?主語にしては貧相すぎる!」と、「見た目」に悪態をつける者が現れだした。「そんなこと言われても・・・」と、その当時の文法家は、喉まで出かかったが、「確かに、これからは『個性の時代』だしな」と納得し、試行錯誤の末、下部を左上にグイッと曲げてみることにした。すると、"j"という形になった。そう、ここで生まれたのが、アルファベットの"j"である。つまり "j"は、"i"の代替品として、この世に生を受けたのだ。なんか、ちょっと悲しい秘話である。アルファベットの並びを見ると、"j"の位置が"i"の次なのも納得がいく。」

(4)生半可な英語教師に散見される原音至上主義。園山氏はたとえばニュースはニューズと発音するべきだと主張する。だがそれならばカステラは原語のポルトガル語通りにカステーリャと発音するべきであろう。メスは原語のドイツ語通りにメッサーと発音すべきであろう。このような論理がまかりとおってよいのか。輸入されて入ってきた単語が、本来の外国語で持っていた意味や発音を脱落させるのは当たり前の言語現象であり、園山氏の軽薄な英語至上主義が、生徒の日本語力も狂わせかねないのは遺憾と言える。

この問題は、「日本人らしいミス」(2013/05/30 13:49:46)。「複数形ではないが、newsを日本人は「ニュース」と言う。本来は「ニューズ」である。竹岡先生もおっしゃっていたが、せめて「N○K」だけは「こんばんは、7時のニューズです」と正しく言うべきである。そうでなければ、「教育チャンネル」で英語を教える資格はない。」

(5)園山氏は自分のうろ覚えの知識に疑問を持たない。『ライ麦畑でつかまえて』を『ライムギ畑で捕まえて』と粗雑に表記し、新潮文庫刊行と書いているが、実際には白水Uブックスである。新潮文庫の「偉大なるギャッツビー」と書いているが、新潮文庫版は『グレート・ギャツビー』である。集英社文庫版では『偉大なギャツビー』であるが、園山氏が追加した「る」と「ッ」はいらない。些細な問題に見えるかもしれないが、先人の訳業に対するリスペクトを欠く行為であり、園山氏の人格が伝わってきてしまう。

これは、「読書の秋」(2016/09/18 11:16:45)。「大学生のときは、文学部に所属していたこともあり、新潮文庫の海外作品を多く読んだ。「ライムギ畑で捕まえて」や「偉大なるギャッツビー」を読んでは、翻訳家の良しあしが大きく左右するのだと痛感した。」

(6)社会意識の低さを露呈している。日本の深刻なデフレに危機感が皆無であり、英語教師は英語さえ教えられらば良いと言わんばかりである。このような価値観は教育者として残念過ぎないか。

「辞書は使ってなんぼ」(2015/04/09 11:10:46)から引用する。「昨日ダ〇ソーに行ってぶらぶらしていると、英和辞典が売っていて驚いた。「辞書を舐めるなよ!」という気持ちよりも、「数百円で辞書とはすごい!」「とうとうやったな!」という感動をむしろ覚えた。ただ値札をみると1050円とあり、がっかりである。やはり100円の辞書は不可能なのだろうか?この際クオリティは気にしないので、ぜひ100円の辞書を作ってほしい。」

(7)下品な言語表現について、執拗に書き過ぎる。進んで自分の品性を低く見せようとするとは何を考えているのか。

以下、「くそ」のはなし」(2015/09/04 12:29:30)。「言葉が変化するのは自然の成り行きなので、言葉遣いには寛容なスタンスでいたいと思う。それにもかかわらず、「くそ」と聞くとなんとも胸くそが悪くなるのはどういうことだろうか。年をとったからか、言葉に携わる仕事をしているからだろうか。「くそ暑い」や「くそ不味い」は、ひどく耳障りである。「ら抜き言葉」や「全然だいじょうぶ」のような誤用はまだ構わないが、「くそ」だけは勘弁してほしい。」

(8)以下、教育姿勢に関する疑問点を指摘する。この問題は園山氏の人間性に関わるためデリケートな指摘になるが、彼の生徒の状況を不安に思うためである。

園山氏は、三者面談で生徒の学力の「悲惨さ」を保護者に強調して、生徒が学力に関してついた「嘘」を保護者に暴露して「挟み撃ち」にしたいと底意地の悪いことを公言している。生徒は受験を控えてナーバスになっている上に、教師と親に囲まれて緊張を強いられた状況であるのに、あまりに思いやりを欠いている。また、生徒には漫画などの話をして場をなごませて欲しいと求める一方で、それで保護者が顔色を変えるならば一喝すると人格破綻を隠さない。生徒を自分の操り人形と錯覚しているのならば、恐ろしくなる。

以下、「夏の三大祭り」(2021/06/30 18:29:41)。「模試が終わると次に待つのは「三者面談」だ。日頃の授業の様子(単語テストがいかに悲惨か)を、もちろん先ほどの模試の結果も含めてお伝えする。単語テストの点数を親に隠したり嘘をついたりしている者もいるようだが、この面談でバレてしまうので、日頃から嘘をつかないようにするか、嘘をつかなくてもいい点数を取るかを心がけてほしい(後者をお勧めする)。受験生に関しては「子供に全て任せています」というのであれば二者面談でもいいかなと思っているが、それ以外の学年は保護者と私で挟み撃ちにしたいので三者面談でお願いしたい。(中略)生徒にプレッシャーに耐性を付けろと言っておきながら、私自身いつまでたっても三者面談のプレッシャーに耐性が付かない。なので生徒諸君は「もうすぐOne Pieceの100巻が出ますね」などと漫画の話をして場の空気を和ませてほしい。ただし、その時の保護者の顔色次第では「こんな時に漫画の話をするな」と一喝するかもしれないが。」

(9)園山氏は脅迫的な死のイメージや「罪が重い」などの恫喝的言動を用いて生徒を精神的に追いつめている。「警察」的に振る舞うことを良しとする独善も隠さない。あまりに時代遅れな教師像ではないのか。

以下、「謹賀新年」(2019/01/18 11:42:16)。「高2生もこの時期になると、できる子とできない子の学力格差が大きくなっている。悲しいかな、「できる子」ほどより努力を重ね、「できない子」ほど努力を避ける傾向にある。入試本番まであと一年しかない。というか、夏休みに完成して9月の模試で結果を出さなければならないから、実質あと7ヶ月くらいである。遠い「対岸の火事」であったはずの場所に、今まさに舟を接岸しようとしている。中には何の装備もなく真っ裸のまま上陸しようという強者がいるが、このままでは上陸した途端に黒焦げである。とにかく、「片足を棺桶に突っ込んでいる」という自覚を持って寸暇を惜しんでやることだ。」

以下、「英検のマナー2」(2016/03/25 10:54:14)。「間違っても、長い沈黙に陥ってしまい、うつむきながら次の質疑に移るのを待つだけにはならないように。それこそコミュニケーションの放棄であり、最も罪の重い行為である。」

以下、「2つの「気をつけて」の違いに気をつけて」(2012/09/02 18:07:27)。「私は、これからも巷に溢れる間違った英語をチェックする人間でありたい。絶対に絶えることのない万引きという犯罪に挑み続ける「万引きGメン」のように、「英語Gメン」として。」

(10)園山氏には他者に対するリスペクト足りず、苦労して生きてきたはずの中国系カナダ人や、自分を受け入れてくれたホームステイ先の家族、あるいは自分を育ててくれた日本の教師たちを平気で容赦ない悪口を浴びせる。では、そういうことをやってのける自身の狭量さには、なぜ寛大なのか。

以下、「言葉の魔女」(2016/10/30 11:41:32)。「カナダに住んで10年になろうという中国人の知り合いがいたが、一切英語を学んだことがないと自負していた。確かに、雰囲気も発音もカナダ人なみだったが、聞き慣れてくると語彙が乏しい上にやたらとスラングを多用する。文の体裁をなしていなかったり、文法や時制はハチャメチャだったりで聞くに堪えなかった。彼女には悪いが、「こうはなりたくない」と強く思ったものである。」

以下、「カナダ留学 到着編&ホームステイ事情」(2021/09/30 10:32:55)。「ホームステイの不満を書くと「我儘が足りないんじゃない?」とか「運が悪かったんじゃない?」とか思われるかもしれないが、実際には、留学生がお互いのホームステイ先の不満を言い合うのは日常茶飯事であり、言語や文化の違う(おそらくは違わなくても)他人と暮らすというのは得てしてそういうものである。」

以下、「日本で習った英語って・・・」(2012/06/05 21:57:45)。「竹岡広信先生に「英語を話せない教師にはなるな」の言葉を胸にカナダへ留学し、日本の英語教育の「無意味さ」を痛感した。」

ここからラストのまとめになるが、園山氏のこのような人柄・教育姿勢は、自分を「地獄側」と感じることから来ているのではないか。「蜘蛛の糸」(2021/11/16 11:06:43)で園山氏は記している。「受験生たちは頑張っている。天から蜘蛛の糸を垂らしてあげたいが、私もどちらかと言えば地獄側の人間である。」他者へのリスペクトに欠けた地獄の人間。憐憫を誘う面もあるが、この問題は園山氏自身が何とか解決するしかない。そうでなければ、彼がリスペクトしていない生徒たちこそ憐憫を誘う存在ではないか。
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