母と不仲なわけではないけれど、お互いに微妙な心地悪さを感じている。
それはなぜか。
根っこの部分から、私と母では違うから。
上に育った枝葉がどれほど近くにあろうと似ていようとも、根っこでは全く違う。
だから、心地悪い。

勘違いしないで欲しい。
私は今は母が好きだし、おそらくは母もそうだろう。…かなり自信はないけど。
ただ、どうしても趣味嗜好の話になると互いにわかりあえない。微妙に似ているような気がするけれど、絶望的に決定的に違う。

まぁ、そんなわけだから教訓や座右の銘なんかも私たちは合わない。
お互いがお互い、それって違うんじゃない?間違ってない?となることが多い。

けれどもただひとつ。
母の言葉に深く同意し、教訓としたことがある。
「他人に期待をしてはいけない」
それはそうだ。これ以上に正しいことはない。
人に期待なんてするもんじゃない。
期待なんてものがあるから、人は傲慢になる。
出来て当たり前、出来なければ失望。
そんな勝手なことってある?

でもまぁ、人は期待しちゃうものだよ。
仕方ないよね。
自分に近しい人なら尚更期待しちゃう。
私だってそうだし。
はじめは気が付かないほど小さな期待。
でもそれが裏切られた瞬間の小さな失望。
その時、自己嫌悪する。
あぁ、また期待しちゃってたのかー。
自分は他人に期待しない。
それを自分に期待して、裏切って自己嫌悪。

結局、誰にも期待なんてしちゃダメなんだよね。
他人はおろか自分にも。

まぁ、暇な休日の戯言に過ぎないんだけど。

私は、私が好きな人たちに必要とされたい。
悲しいとか、寂しいとか。
そんな私は誰も必要としてないことを知ってる。
だって、事実必要ないって言われたし。
だから、全部好きな人たちの前では隠すことにしたの。
1%の本音と99%の建前。
それが私。
ほんの少し本音を混ぜるのは、相手に安心を与えるため。
建前だって嘘をいうわけじゃない。
飾らない1%の言葉に、綺麗に研磨して飾りたてた99%建前で包む。
結構、うまく出来てると思う。
お酒を飲んだ時だけ、酔ったふりで2%の本音をいうの。
あとはまぁ、少し甘えてみたりとか。
そういうの、考えてやってんの気持ち悪いよね。

今度はなんで必要とされたいのかって話。
愛されてるってよくわかんないの。
曖昧で不安になる。
でもさ、必要としてくれてるってわかりやすいじゃない。
だから、必要とされると好かれてるんだと錯覚できる。
根本的に、好きと必要は別問題だけど。
好きと必要はプラスでは成り立つけどイコールではないよね。
だから、錯覚なの。好きじゃなくても必要なふりはできるし。

ほんとはね、寂しい時や悲しい時は支えてほしいんだよ。
でも、むかーしむかし。
そんな君はいらない。
そう言われた時に、本当に大切な人に助けてって言う方法を忘れてしまったんだ。
それを今も、思い出せない。
私、どうすればいいんだろう。
誰になんていえばいいんだろう。
考えすぎてわかんなくなる。
ほんとはわかってるんだ。
こんな私こそ、誰も必要としてないって。
こんな虚飾にまみれた私なんて誰も必要としてないって。
怖い。
なんて、ただの冗談。
僕がそんな難しいこと、考えてるわけないでしょう?