元社会不適合者(コミュ症・過剰な被害妄想)の私でも本当の自分を取り戻せた

元社会不適合者(コミュ症・過剰な被害妄想)の私でも本当の自分を取り戻せた

過去に私は、

できるだけ対人関係を持たないで
取り組める仕事があればと思って
いました。

今であればネットビジネスなら
それが可能だと実感し、

同じ悩みを持つ人にお役に立て
ればと思い、ブログに纏めようと
はじめました。

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社会復帰支援士 山田英晶と申します。

「「自分史」を書いて、自分らしい生活を。
自分史は、自分の価値観や自分の良さを教えてくれます」をキーワードに、本来の自分を取り戻し、自分の目標や夢に向かって行ける前向きな心の持ち主になっていただきたい。

学生、社会人の方々に、学校、会社に自らの意志で出向き、自分らしく生活していただけるよう支援することでお役に立つことが私の使命です。

では、私の人生はどうなんだ?という話になりますので、これから私の過去を包み隠さず話します。
決して格好の良いものではありませんし、汚点の方が目立つ人生です。でも本当の私を知っていただきたく、ありのままをお伝えいたします。

私と似た体験をお持ちの方には、的を得たお声掛けとご支援ができるものと思います。

幼少の頃から大人しい性格で、物事に積極的に取り組むタイプではありませんでした。
父親からお前が頭が悪いと常々口にされていました。
私の潜在意識に中にどっぷりと染み込んでいる言葉となっていたのです。
自分の存在というものが悪であり、自分自身が価値のないものなんだと意識し始めた時期でもありました。

大学受験を二浪し、三浪しようとする私を両親は認めませんでした。
ほぼ二年間引き篭もり状態で、体重が激増。
65㎏から80㎏になってしまいました。
この時すでに精神状態は、塞ぎ込み、自分を誰であるか認めることもできない、また机が斜めに歪んで見えてしまう状態でした。
この段階で精神状態は常に自分自身を責め続ける状態となっていました。

浪人生活から社会人としてデビューする事になるわけですが、丁度バブル経済崩壊後の1993年で、仕事の数自体激減した時期でもありました。
企業への応募は50件は応募した中で入社を決めたのが営業職でした。

なぜ営業職なのか、父親が営業部長から独立したから。
「仕事が取れないと商売は成り立たない」という教えを受けました。
また尊敬する松下幸之助氏の影響もありました。

OA機器商社での新規開拓営業の仕事、企業への飛び込みで、コピー機やプリンターなどの事務機器を売り歩いていました。

そこで経験できたことは、主に二つになります。
1.
商品知識は豊富に持つことまた他社商品との比較も説明できること
2.
対内外共に、信用を得ること。
社内技術者に迅速に修理してもらう、お客様から名指し指名いただく

とある社会保険事務所の女性社長に商品説明と他社製品比較を説明するように言われたのですが、営業二日目ということもあり、何も話せませんでした。
そこでコテンパンにお叱りを受けてしまい、人格まで否定され、相当凹んでしまいました。
事務所を後にした直後、隣の雑居ビルの個室トイレに三時間程籠っていました。

その後、飛び込みを続けていたところ、30件目程で、FAXの契約が取れました。自分自身に自信が芽生え始めたきっかけになりました。

これは、今でも営業の二大要素だと思います。本当に良い経験が出来ました。

しかしながらいくら知識があっても、信用がなければ話も聞いてはくれません。
一日50件飛び込みましたが、門前払いは当たり前でした。そこでどうすれば話を聞いていただけるか考えたところ、「元気よく礼儀正しく」挨拶するしか思いつきませんでした。社内中に響き渡るくらい大きな声で挨拶して廻ると、話は聞いてくれるものです。
雑談からではありますが、隙間を縫うように信頼関係を築いていくことで、やはり信用あっての商売だなと確信を得ることになりました。

しかしいくら頑張っても月の手取りで15万円を超えることはありませんでした。
将来に対する不安、つまり仕事はこのままで良いのか、経済面はどのように安定させるべきか。
経済面は精神的にも自分を追い詰めるとてつもない大きな不安要素でありました。

1996年はインターネットがマスコミで取り上げられ始めた時期でもあり、私の頭にはじめて「IT」という言葉が飛び込んできました。

とっさにこれだと思いました。営業では、コスト削減と性能改善の提案営業を行ってきましたので、そのスキルを用いて、ITコンサルティングの仕事を目指し始めたのです。

初めはプログラマーを経験した後、業務系のシステム設計を担当しました。要は運用に耐え得るシステムに改善したり、新たな要望を取り入れ、具体的な改善案を提示していく仕事です。

そのシステムを直接操作するユーザ様と打ち合わせしながら作り上げていくそれをメンテナンスする仕事は自身の正確に合っていました。

ただ、プログラミングは全く適性がなく、毎日叱責を受けるばかりで、ふとんの中で毎日涙していました。
ここで、自分の存在を消そうと必死になる自分が出てくるのです。仕事をすると迷惑になる。自分の存在自体が悪になる。
そう考えるとその場所に居辛くなるだけではなく、自分を自分でとことんまで追い詰めるものですから、精神的にはクタクタになり、休日は殆どの時間横になっていました。

ユーザとの折衝やメンテナンスの仕事であれば、自分らしく仕事できていたので、結果オーライといったところでしょうか。

自分自身が少しずつ塞ぎ込んでいた心を自然に解放できるようになり、決して許すことができなかった自分を次第に許せるようになりました。

この時、心がけていたことは、自分は何のために生きているのか、自身の価値観は何かを見つける作業でした。

それは人に何か役に立つご支援をすることで、感謝されることが自分の存在価値であることに気付きました。

役に立つことにスイッチが切り替わったことで、人付き合いが楽になりましたし、仕事もやり易くなりました。

迷惑をかけてしまう、自分なんていない方がいいそう心の中で呟き続ける姿は、周りの方々には異様な光景に見えたに違いありません。

自分で自分と戦い、ひたすら、自分の存在をひた隠そうとしていたのですから。



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すごいですね。

本日は、FacebookでもTwitterでも、メジャーリーガーであるイチロー
選手の日米通算4000安打達成ニュースに関する記事をよく見かけ
ますね。

本当におめでとうございます。

海外で活躍する日本人選手が、このような偉業を成し遂げていただいた
ことに、同じ日本人として大きな誇りを感じます。

天才と言われるイチロー選手ですが、バットの素振りや速く走る練習
など弛まぬ努力を繰り返されたが故の偉業であることを知る人はまだ、
多くないかもしれません。

わたくしは、中学生時代三年間野球部に所属していましたが、お恥ずか
しながら一度も試合に出場したことのない所謂ノーコンだったんです。

ですから今回余計に、イチロー選手の偉業には偉大さを感じずにはいら
れませんでした。

偉大に感じると言えば、自身の身近な人々も忘れてはならない存在です。

わたくしは、自身の両親や仕事関係の人々を心底すごいなと思うのです。

自分の身近な人を褒めることがその人の人生も自身の人生もより豊かに
してくれるものだと思うのです。

自分にできないことを妬まず、身近な人のすごいところを褒める。

これは豊かな人生を実現させる上でとても大切なことです。

褒めると、つけあがるから褒めてはいけない、という考え方もあります。

煽てる訳ではなく、その人の才能や日頃の成果を認める、感謝するという
行動であり、それがお互いの承認行為そして信頼が厚くなって人間関係や
仕事が上手くいくことに繋がるものだと思います。

「ほんと、すごいですね」ともっと普段から口にしようと思います。