まったりさんのブログ

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学生による、平手友梨奈ちゃんを語るブログです。基本的に批評ではなく応援をモットーにしてます(^^)
他にも面白いものとか、可愛いものとか発見したら紹介したいです!

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もうブログは書かないかもしれないと思っていたのですが…
やっぱり私は平手友梨奈ちゃんの歌とダンスが好きなんだなぁ( ´ ` )

(ブログは以前のように頻繁には書きませんが、平手友梨奈ちゃんの活躍に刺激を受けて、たまに書くかもしれません。)


MVが公開されたということで、まずは一言。

おめでとうございます!


こんな深夜…というか朝に近い時間までMVを何回も何回も再生してました。


美術に限らず、文学とか音楽とか、いわゆる芸術と言われるものは、作り手の意図よりも、見てる側の感じ方が大切だと思います。

私は私なりにMVを飲み込んで、私の解釈をずっと考えていましたが、まとまらないのでとりあえず思いつくままに文章にしますね。



まず最初に目に付いたのは衣装です。
色んなデザインがごちゃ混ぜになった衣装で、野性味がありますね。

人間には理性と感性というものが備わっているんですが、このMVの主人公はどちらかというと感性とか本能とかを大切にしているような気がします。

今回、獣(本能的存在)がMVに登場するのは、頭でごちゃごちゃ考えて理屈を並べ立てるよりも、感じるままに誰かを本能的に救いたいと思う主人公の気持ちが現れているからかもしれませんね。

感性を大事にする人は、一瞬一瞬、刹那を大切にする人だと思います。
歌詞の中にも、誰かの悲しみを癒す一瞬のために頑張るのだと表現されています。



仕方なく踊るしかなかった鹿("しか"=鹿という韻をふんでる)≒あの娘
あの娘を見ると過去の自分を思い出すと言っているので、MVに登場する鹿は過去の自分なのではないでしょうか。

MVの1番最初、皆が跪く中で1人だけ立って踊る鹿。絶対的存在であり、孤独であり、誰も一緒に踊ってくれない。
そんな中で、鹿にとって(平手が演じる)未来の立場の主人公が立ち上がります。

『あの娘(鹿)を孤独なままにしておけない。』と。

しかし、鹿は周囲が自分に攻撃してくるのではないかと逃げ出してしまう。

ここまでのやりとりが0:23まで。


1:09あたりで主人公が色んな人々と共に踊るシーンがあると思うのですが、主人公にとってダンスは攻撃ではなく、コミュニケーションです。絆を繋ぐものです。

ここでポイントなのは、主人公が群れの先導者であり、1人ではないということ。


2:02あたりではぐれ者の孤独な鹿が戻ってくるシーンがあると思うんですが、主人公はリーダーとして仲間を跪かせてもすぐ立ち上がらせるのに対し、
2:11の鹿視点では周囲の者たちが鹿に対して跪いて行ってるんですよね。

主人公は群れの中の一人であり、仲間を立ち上がらせる。
鹿は孤独であり、仲間を跪かせる、不器用な存在。

鹿にとってダンスは攻撃であり、どんどんそれに周囲が平伏していく。

2:23からはまるで野生動物の戦いです。
群れの長(主人公)に挑んでくる鹿に対して、主人公は戦いながら様子を見ています。

ここで歌が入ってこないのは、お互いが探り合いの戦いをしてるから言葉は必要ないという演出ではないでしょうか?

しばらく踊っていた2人。
攻撃的な鹿は、主人公と踊るうちに、ダンスというコミュニケーション(誰かに気持ちを伝える方法)を知り、主人公の群れの仲間になっていきます。


興味深いのは、
かつて集団の中で孤独に生きることについて歌っていたてちが、
仲間の大切さを知った上で、孤独ではなく先導者として自立することについて歌っているということです。

孤独な鹿を救うために、主人公は全力で踊る。
ダンスを踊るのは誰かと繋がるためであり、誰かを救うためなのだというメッセージ性がこのMVにはあるのかなと思いました。




補足・芸術の感じ方は人それぞれでいいと思います。私の解釈が公式の意図とは異なる可能性がありますが、それが間違いだということはないと思います。芸術に間違いは無いのですから。
…みなさんはどう解釈されたのでしょうか?自分自身の感じ方もぜひ大切にしてください。


更なる補足・鹿は復活の象徴だから平手友梨奈の復活を意味しているという考察もあります。
しかし私は単純に歌手として復帰したとか、過去を乗り越えて復活したとかいうよりも、過去を大切にした上での新しい私の登場だと思いました。

過去の私を否定して乗り越えるのか、受け入れて変わるのかは全く異なります。

あと、鹿=過去の平手友梨奈とは限らないと思います(間違いではないですが…。)。歌詞は過去のてちを思い起こさせますが、てち個人を想起するだけではあまりにもMVの描きたかった世界が狭いです。

てちのインタビュー記事とかしっかり読んでる人ならわかると思うのですが、MVの主人公はリアルのてちと似てるけどあくまで擬似世界の主人公です。(しかも異なるMVの主人公でも繋がりがあると捉えられるんですよね。)

2:12で鹿が人の間を歩いて主人公の元に辿り着くシーンはサイマジョを思い出したのですが、ああやって歩んできた過去の自分の先に、「未来の私がいる」って言うところがポイント。角を曲がるのMVもそうでしたが、未来の私は過去を否定して過去を倒すのではなく、過去と繋がった先にいて、苦悩する過去の私も受け入れるんです。

鹿=孤独な他者、過去の自分
主人公=繋がりを大切にする自分
だと考えて、視聴者に誰かのために頑張る勇気や、過去の自分も大切にして今を生きる勇気を与えてくれるものなのだと捉えました。