志が大切な例として、余人をもって代えがたい存在になるには10,000時間の鍛錬が必要だというというマルコム・グラッドウェル氏の10,000時間の法則というのがあります。私は中小企業診断士の勉強を始めた頃、合格のために1,000時間が必要だと聞かされてました。1日3時間を1年も継続?絶対無理!と嘆いていましたが、10,000時間、なんと、その10倍です。その法則を知ってから苦しいだけでは到底、継続なんてできまんせんので、自分が努力を続けると決めたことに強く意義を持ち続け、苦しさの中で、少しでもワクワクを感じられるようにしています。きっと今の苦しさによって、徐々にそこに近づいているんだ、きっと、といったふうに。
難しい問題として集団、組織の中にいると、志にそぐわないことに、どうしても流されてしまうことがあります。自分の志と集団の価値観が完全に一致するなんてことはありませんので。自分が正しいと思うことに正直でいると、価値観が異なるような方から、無駄、バカバカしいと思われてしまうこともあります。そんな時に、大切なことは、狭い集団の価値観に完全に支配されないように集団の外で異なった思いを持っている方々や、本、SNSなど何でもいいので多様な考えに触れることだと思います。その上で身を置いている環境を鑑みつつ幅広い選択肢の中から自分の志や方向性、正しさを選んでいけばいいと考えています。いつもそんなですと変人扱いされてしまいますが・・・。
吉田松陰の処刑の前に遺した遺書「留魂録」に次のようなくだりがあります。
農業は、春に種をまいて、夏に苗を植え、秋に刈りとり、冬にそれを貯蔵します。秋、冬になると農民達はその年の労働による収穫を喜ぶことはあっても、悲しむなんて聞いたことがありません。
私は三十歳で生を終わろうとしています。この若さで死を迎えることは穀物が実らないような残念なことなのかもしれません。ですが、やはり今、私は実りを迎えた時だと感じています。なぜなら、人の寿命は長短様々ですが、それぞれ、ふさわしい春夏秋冬があるといえるからです。10歳にして死ぬ者には、その10歳の中にその人なりの四季があり、20歳には20歳の四季が、30歳には30歳の四季が、50、100歳にそれなりの四季があります。
私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずです。それが単なるモミガラなのか、成熟した粟の実であるのかは私の知るところではありません。もし同志の諸君の中に、私のささやかな真心を憐み、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えることなく、穀物が実っていくのと同じで、収穫のあった年に、恥じないことになるでしょう。同志よ、このことをよく考えてください。
彼の門下生たちが、その後に成し遂げた凄すぎる偉業についての説明は省きますが、松蔭の遺した言葉が大きな原動力となったようです。
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また幻冬舎の見城徹さんが紹介していたアメリカの先住民に伝わる言葉に次のようなものがあります。
君がなんとなく生きた今日は、昨日死んで行った人たちがどうしても生きたかった大切な明日だ。
10,000時間の法則のマルコム・グラッドウェル氏は継続のために、どうしてもやりたくて、やりたくてウズウズすることが重要だと言っていましたが、私は性格的にそこまでは難しいと考えています。不安や、障害ばかりでうんざりすることもしばしばです。一方、吉田松陰やアメリカの先住民の言葉は、ともに私が志を考える上でとても大切にしたい言葉で「やるぞ!」って気にさせてくれます。90%の苦しさと10%くらいのワクワクくらいで丁度いいのかなという感覚です。そんな素敵に力を借りながら私は今は生きていない大切な人に志を成し遂げることで恩を返していきたいと本気で考えています。
志を感じるマービン・ゲイ