しかし、このところ、そういった「お得クーポン」で泊まった宿泊施設について、お得価格でも、むしろ高くない?ってことが幾度かありました。露天風呂が冷たい、外壁の塗装が剥げ落ちている、お酒のアルコール臭がもの凄い、清掃が行き届いていない、授業員の方の愛想がない、などなど。20,000円の40%offでの12,000円とかアピールしてるけれど、実際のところ8,000円がいとこじゃない?一体、20,000円で誰が泊まるのだろう?って感じです。付き合いの始まった頃には妙に相手を気づかっていたにも関わらず、徐々に素っ気なさを増す残念な男女のように。
安さにはそれなりの理由があることが殆どです。事故で多くの犠牲者を出したスキー客を乗せたバスが相当な無理といい加減でもって安さを実現していたように。ごくまれに洗練されたアイデア、圧倒的な試行錯誤、による、素敵はあることもありますが。それは鳥取砂丘で一粒の金を探すようなものです。
そんな残念を幾度か経験し、安かろう、悪かろう、にさよならして、それ相応のお金を払わないことには、相応のサービスをうけることは難しい、と今このブログを書いている宿に満足しながら実感しています。また、ただ単に10,000円で買ったサービスと、20,000円のところを10,000円で買ったそれでは、同じ10,000円でも事前の期待が全く異なります。
お客さんの事前の期待を膨らませすぎると裏切ってしまった場合のお客さんのガッカリ感も大きく膨らむ。
私はかつて、話術に大きなコンプレックスを抱えていたため、お客さんの無茶なリクエストに対して、可能な限り「尽くす」ことで認めてもらうように努めていました。自己評価がとてつもなく低かったので認めて貰いたい!だから根性でもって何とかします!ってノリでした。武士の時代の封建制度における奉公みたいに。
今、振り返ってみると、それは明らかな自分にたいする甘えで、お客さんの無茶に対しては怒られたり反発されたりすることで傷つくことを覚悟の上でNoを言わないといけない場合があります。「なるほど、そういうことですね。私としては・・・と考えます。どうしてかというと・・・だからです。いかがですか?」って。ビビりまくりつつ素敵に導くよう努めないといけません。そうじゃないと私はお客さんにとって単なる便利屋、イエスマン、安かろう悪かろうな人、になってしまい、さらにお客さんに価格相応のプラスを届けることは出来ません。だから日々の研鑽は欠かせない、と強く、強く感じています。
話術はあったに超したことはないが、熟慮、勇気、誠意を欠いた話術はさほど重要では無い。
だから、自分がどれだけ、寝ていないとか、休んでいないとか、みたいなことによる大変さでもって自分を評価するのは自己満足、甘えで、「お客さんをどれだけ良くしたのか?」で自分を評価しないといけません。お客さんがおかしなことになっていたら、ひょっとしたらソッポを向かれてしまうリスクを取って意見できないと、自分がお客さんと関わっている意味が無いと考えています。もし、そうすることで、この人、意味が分からない、バカじゃない?とか思われてしまったとしたら、それは相性の問題で仕方のないことです。
「従順で使いやすい」より「ウザいけど本当のことを言ってくれる」そんな存在でありたい。
最後に私は英国の靴メーカのトリッカーズのブーツが大好きです。値段は安くはありませんが、かかとを年に1度くらい、また数年に1度、靴底全体を、それなりの値段で張り替えることで、妻よりも長い付き合いになっていて、一生モノだと考えています。リーズナブルな10足をはきつぶすよりも、1足を丁寧にメンテしてずーっと一緒にいる方が私の性に合っています。年を重ねるごとに風合いを増し欠かせない存在となるからです。13年目に突入する夫婦関係もそんなであり続けたいと思っています。十分なメンテを欠かさないことで。
一生付き合っていたいセルジオ・メンデス