反芻〜あたかも牛のように幾度も幾度も[No.176] | 起業して不安はあるもののワクワクしている50歳・IT技術者・中小企業診断士のブログ
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牛には胃が4つあって、飲み込んでは口に戻して噛んで、を繰り返して、各々の胃に送ることで消化を進める。このことを反芻(はんすう)という。

人から教えてもらったこと、本で読んだことも何度も思い返したり、後の経験と結びつくことで、初めて口に含んだ時には消化しきれなかったことが、ジワっと味わい深くなることがある。

僕は最近、コンサルタントの石原明さんのPodcastをiPhoneにダウンロードしておいて、隙間時間に聞いている。石原さんは30回同じ内容を繰り返し聞くことによって(30回はさすがに大袈裟かもしれない)深いところに届くみたいなこと言っていて、本当かな?一度消化したことを繰り替えしたって効率悪いでしょ!早く次に行かないと!って思ってた。でも、何回も聞いているうちに少しづつ、聞いている内容と遠いところにあるけど無関係でない過去の経験とか知識と結びついて新たな気づきになることが少なくないことに気づいた。点と点が結ばれて線になって、線と線が結ばれて面を形作るみたいに。

このように、一度口に入れてみて美味しかったことについて、とことん繰り返し噛み砕くことで新しく発見できることが多い。初めて聴いた時はキャッチーな曲に引き込まれるけど徐々にアルバム全体が好きになってしまうoasisみたいに。また特に気合入れてなくて何気なく聞き流しているような、ぼーっとした意識の中で浮かんでくることも多いから不思議だ。

映画「ニューシネマパラダイス」の主人公は故郷を立つ(断つ)電車のプラットフォームで人生の師匠のアルフレッドおじさんに「ノスタルジーに惑わされるな、自分のすることを愛せ」という意味深な言葉を贈られる。高校のころ初めて見た時には何となく深い言葉だなと思いつつイマイチ意味がわからなかった。社会にでて、泣きたくなるようなことを幾度か繰り返し、その都度、すさまじい郷愁に襲われて、そのセリフの意味を理解した。


映画の舞台となったシチリア島の町

人から聞いたり、本で読んだことを僕はすぐに仕事に活かすことを躊躇してしまうことも多い。裏をとるというか、もっと多様なケースに当てはめて間違いない!ってなるまで反芻しないと間違ってたらどうしよう?って不安になってしまうから。昨日今日聞いたことをずーっと前から知ってたように話せる人をうらやましく感じてしまう。上澄みだけすくって分かったようなこと言う残念は別として。新しく得たことについて70点くらいに受け容れているのなら、そのことについて僕もそんなでいいのかなと思う。うつろいのスピードが増す中、人生やりたいこと、残されていること多いから。慎重にとか言ってたら道半ばどころか2割で終わってしまう。

革新的な成果をあげまくっているgoogle社はどうしようかな?って迷ったら、まずやってみるらしい。で、やってみるうちに間違いに気づいたら「ごめんなさい」するらしい。ダメだった時のリスクの大きさにもよるのだろうけど、基本的にはそんな姿勢でいいのだろうと思う。

対象を変えつつの新しいことへの反芻も素敵だ。

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