情報の粘着性 文章長すぎ!って方は赤字部分だけお読みください。
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相手に情報を伝える難しさの程度のこと。「情報の粘着性が高い」とは、情報がベタベタ自分に張り付いていて、なかなか、相手に渡すことが出来ない(伝わらない)ということ。
蓄えられた知識、当たり前と思っていること、大切にしていること、が同じである人に対しては、比較的、苦労することなく思いを伝え、共通の理解を持つことが出来る。ドーハの悲劇の時の日本サッカー代表のオフト監督が標榜していたアイコンタクトみたいなことで。
逆にそういった共通点に乏しい人に情報を伝えるには多くの労苦を伴う。コミュニケーションする時、見えない共有フォルダみたいなものが2人の間にフワフワと浮かんでいて、そこにお互いがアクセスしながら会話することで理解が進んでいく。その共有フォルダが小さい、または存在しなかったりすると1つの単語に対する受け止め方も違ったりするから会話が噛み合わない。だから小さい確認を積み重ねながら、非常にゆっくりとしたスピードで理解に向けた奮闘が続くことになる。異なる思惑が激しくぶつかり合い、着地点が見えてこないTPPの関税交渉みたいに。
Hello, Goodbye(噛み合っていないことを歌ったビートルズのナンバー)
また情報は言葉や数字で表現できる形式知と、経験とか勘によって体得した言葉では表現が難しい暗黙知に分けることができる。前者は野村監督のID野球、後者は長島監督のカンピュータみたいに考えると分かりやすい。形式知は比較的、容易に伝えることが出来る一方、暗黙知はそれが難しい。だから形式知はメールや電話でも伝えることが可能だ。その一方で暗黙知はフェイス・トゥ・フェイスでないと上手く伝わらない。だから図を書いたり、身振り手振りを交えながら伝え、相手の表情・声・仕草といった反応を見ながら柔軟に説明・質問の内容を変えることで理解というゴールに向けて努力する。長島監督がボディタッチと不思議な英語と擬態語(サッとかビュッなど)によって選手を指導したように(効果については意見が別れるところだとは思うけど・・・)。
さらに理屈では理解しているみたいだけどプライド、メンツといった感情が理解を妨げる(拒絶する)ことがある。これが一番厄介だ。可能な限り遠回しに表現したり、相手の意見を受け止め十分理解していることを伝えた上で意見したり、周囲に人がいない一対一の場で伝えたり、といったことで感情を損なわないよう配慮することが大切だ。ただ、そういった配慮に効果が無い、上下関係だけが異常に優先されているような場合には、逆に毅然とした物言いが効果的な場合もある。
以上のように人に分ってもらうことは簡単ではない。だからこそ辛さの反面、面白さもある。絶対に失いたくない女性に対して、どう表現すれば自分の真剣さを分ってもらえて、かつ深く心に届かせることができるのか?って考えるのと同じように色々と工夫してみて、上手くいったりダメだったり、そんなことを繰り返しながら少しづつ上手くできるようになる自分に気づくとワクワクする。怒られたり、僕が怒ったりでヤレヤレってこともあるけれど、あまり気にしないようにしている。相互理解を深めることで「別にいらない」「あったらいいな」「無くては困る」といった微秒な思いの違いを相手の気づいていない潜在意識をくすぐりながら正確に引き出すコミュニケーションが自然にできたら素敵だ。多分、完成なんてなくて一生、高めていくことになると思っている。
パソコンが普及する前は手書きの手紙でお互いに気持ちを伝え合ったものだ。文字の感じで書き手の気持ち、状態を推測するといった感情を読む楽しみがあった。あの娘の本心はどうなんだろう?って。何もかも効率、効率なデジタルな今だからこそデジタルにはない、そういったアナログの非効率な暖かさが意外な武器に発展する気がする。
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