BYOD(私的情報端末活用)とライフワークバランス[No.82] | 起業して不安はあるもののワクワクしている50歳・IT技術者・中小企業診断士のブログ
文章長すぎ!って方は赤字部分だけお読みください。
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BYODとは社員が個人保有のスマホなどの情報端末を業務で使用すること。

2011の大地震のための交通機関の麻痺による出社困難によって一気に拡がった。

大地震前は仕事とプライベートで使用する情報端末はセキュリティを考慮し明確に分離すべきみたいなことが主流だった。winnyによる情報漏洩といったネガティブなことを考えると当然の動きかもしれない。

それが大地震が起こって、そんな眠たいこと言ってる余裕はなくて、一定の運用ルールをかければ、大丈夫じゃん、便利じゃん、って一気にそんな流れに傾いていったように思う。

さらに、通信の料金低下、高速化がこのようなことを後押しした。

ホントに便利な時代になった。僕はシステムエンジニアなんだけど、少し前までは休日にシステムトラブルが起こったりすると連絡が来て最悪の場合(滅多にはないけど)、甘いデートの時間がお客さんのところでの苦悩の時間になったりしてレディジェーン(現鬼嫁)とはサスペンドってことになる。

それが今ではIPADさえ持ち歩いていれば、それでお客さんのコンピュータに通信でつないで、すぐに対応にあたることができる。つまり、お客さんのところに足を運ぶ必要がない。さらに電話を受けてすぐに対応できるからお客さんとしても待ち時間が短くて済む。実際に僕は葬儀の最中にこういった経験がある(亡くなられた方にはすごく失礼な話ではあるが)。

こういったメリットの一方、便利さ故の弊害もある。

何時でも何処でも対応が可能である(もちろん、会社はこのことを分かっている)ため、心が鎮まる暇がない。休日の仕事関係者からの着信は恐怖である。ほんんどは大した連絡では無いけれども携帯の音が鳴る毎に業務が止まってお客さんが激怒しているんじゃないか?ってドキドキ感に襲われる。自分の影をテロリストのそれと勘違いして怯える独裁者のように。以前なら「会社で作業出来るようにになったら」がBYODの利用によって「今すぐに」って意識に変わることにより、このようなことがものすごく増えた。まさに一昔前の黄色い栄養ドリンクの「24時間たたかえますか?」状態である。

さらに、労務管理的側面からの問題もある。スケジュールが押してきた場合、乳飲み子を抱えた共働き夫婦にとって、連日の午前様、休日出勤は不可能だ。そのためBYODで自宅から作業ということになる。このように管理者の目の行き届かないところで働くことが増えることにより、管理者はだれが、どこで、いつ、なにをやっているのか分かりにくいし、分かろうとしない。だから各々の負荷が分からない。生み出された成果に拠らない、管理者の目の届く範囲の働きだけに拠る評価ってないようで、あるところにはあるもので、下手すると、テンパっている時に、あいつまだ余裕あるみたいに言われたりする。そういったことを逆手に取って、管理者と労働時間、場所を可能な限り合わせるコバンザメみたいな過激派もいたりする。かと言ってFBで「休日も家で仕事です!」みたいなのは気がすすまない。

このようなことで家族、特に子供たちにはとても酷い思いをさせてきた。子どもの誕生日の家族旅行のディズニーランドでの楽しい時間を中断された時の子どもたちの苛立ちの顔を想うと、マジでどうにかしないとダメだって思った。まだ緊急なことなら仕方ないけど、全く急を要しないことを休暇中に話さなければならないのはどうしてなんだろう?残念でたまらない。

BYODの活用により今までよりも少ない要員で今まで以上の対応が可能になった。つまりコストは随分と減ってサービスは向上した。が、現場の疲弊は進んだ。こういったことをお客に十分に理解してもらった上で、適切な報酬をいただき、それを各々に行き渡らせることが大切だ。お金で買うことのできる時間もあるし、なによりもモチベーション維持のために。また、最低限の交代要員も考慮する必要がある。これも重要なコストの1要素である。さらに最低限の時間の区切りは契約で規定するべきである(杓子定規にそれを盾にすることを僕は好まないが)。

過剰なサービス残業を前提とした過剰な値下げによる過剰なサービスは誰も、お客さんさえも、幸福にしない。そういったやり方は疲弊を招き持続可能ではないから。だから価値を分かってもらうための発信力が極めて重要だ。買い叩かれないために。単なるコストの下方要因としてではなく、こういった前提のもとにBYODが利用されるのであれば皆が幸福になれる。

ファストファッションと呼ばれているお店で買ったばかりの、とんでもなくリーズナブルなセータの脇の下が切れていてお客さんから微秒な笑われ方をされてしまったことがある。そういった恥ずかしい時間はお金を以ってしても取り戻すことはできない。