葉山にホタルが見られる川がある。
先日、私も子どもを連れて見に行ってみた。
子どもと小さな光りを探して目を凝らしていると、ピカーンとこちらを照らす車のヘッドライト。
駐車しながらライトを消してくれず、おまけにライトをつけて歩いてくる。
一台目、二台目、三台目とヘッドライト攻撃が続き、見ているご近所さんとトラブルに。
常識で考えて、他人に配慮して行動できない大人に育てられる子どもも同じように自己の欲求だけを優先させる大人になるんだろう。
ガムの包み紙が翌朝落ちていたけど、川にごみを捨てておきながらホタル観賞とかしてるんだろうな。
この環境を守ってくれている、ホタル観賞を一番楽しみにしている地元民が怒るのは仕方がないと思う。
何かしら注意する看板やら方策が必要かな。
町役場に相談だ。
我が子は他人のゴミを拾える良識人に育てたいものだ。

保育園から帰ってきた息子が、ボクサーのように目を張らしていた。
お友達と遊んでいたが、玩具の取り合いになり噛みつかれたそうだ。
生きていく上で怪我はつきもので、自我でしか動かない幼児は特に危険を省みたり、他人を気遣って力をセーブすることは極めて困難だ。
私もクライミングをしているときにテンション上げすぎて怪我をして、あぁ暫く歩けないかもと思ったりしたことも少なからずある。
それはさておき、こういう場合は悩ましい。
園の管理不足かといえばそうでもないし、保育士さんは一生懸命やってくれている。
問題である限り解決をするのが前提だというのであれば
、加害者の保護者の指導方針を変えていただき、重大事故が起きないように予防するべきであろう。
もちろん子どもの些細な喧嘩とすることもできるが、噛みつく癖のある児童が比較的頻繁にそうしてしまっているから、今回は黙認しがたいので、加害児童の保護者に事故報告をしていない保育園には報告するよう要望をさせてもらった。
この問題が突きつけられた保護者の辛さは、自分に置き換えれば辛さはわかる。ダメといってわかるまで待つのも一案。
たださらにひどい事件を起こしてからでは遅すぎるので、対処を共に考えたいと思っている。
どこぞの国が、重大事故を起こしてから原発の安全性を検証したり、テンカンの方が虚偽の報告をして運転した祇園の事件や未成年が無免許運転で子ども達を弾いたりしてから法律について考えてみよう、などとしているようだが、リスクヘッジできない組織は くそである。
烏合の衆に、国の運営や子どもを預かる仕事はお任せできない。
重大事故(例えば失明)は、被害者家族も加害者の保護者や近親者も、管理責任者(園)や運営の担当者(保育士さん)、全ての人の心に傷が残り、遺恨が生まれ、やり場のない怒りをうみ、当事者達だけが一生それを背負って行く。防げるうちに見直すべきだろう。
先方のご家族とは中もよくさせてもらっているので、改善の糸口を模索しよう。
なお、クライミングに限らず、柔軟性が怪我を軽減してくれるので、息子には開脚をするような遊びを与えたい。相撲と柔道はごっつくなるので嫌だが、私も年長さんからサブミッション系の武道をやっていたので怪我の回避方法ぐらいは教えておこう。
あーでもバレエの熊川さんのようなしなやかさを保ってあげたいもんだ。悩ましいな、子育てって。

先日、旧友が来るのでと、大型スーパーのコスト○に行って見た。
見学入場はできず、金を払えと言われる。
年間費4000円くらい払わされるが、社外勉強と諦めてみる。不満なら返してくれるらしい。
取り敢えず売れ筋は、凄い大量のキッチンペーパーと一袋に50個はあろう大量のパンと50本位のペットボトルの水。
アホ丸出しでござる。
取り敢えず見て回るが、結構楽しい。
一つ一つがでかくて、だいたい900円程度に設定されて買いやすくしてある。
ワセリンとか一本で一生分はあるだろうが、薬品なので乾いたり酸化して使えなくなるのは、我が家の消費状況からも明白だ。
服を買う気には慣れないが、キャンプ道具にはドキドキしたがプロパーなので意味なし。
安いからって小さいペットボトルの水をバンバン浪費するような、バカな大量消費の時代は終わったんですよ、とアメリカ方面に叫びたいが、食材には期待をよせて奥へと進む。
肉が安い、野菜が大盛、ピザがでかすぎる。
酒類は普通。
無添加のソーセージがあったからそれだけ買って、後は近所のスーパーで買うことになった。

唯一、スチームモップだけは会費分を取り戻せるぐらい安かったので、嫁さんに奮発してもらった。

コスト○みたいな安さって、100円ショップとかと同じ、何かを犠牲にしている証拠だと思う。
子どもの未来のためを考えると、安いからポイ捨てできてしまうレベルで消費していいのか?
大事に育てた地の食材を適度に食べ、長く使えるように知恵が詰まった道具を使い、心の通った食卓を囲む。
あの安い肉が、普通の牛から取れると思っているなら、食材の作り方という映画を子どもとみるといい。
異形の牛を。

適正な価格で、できればフェアトレードされた珈琲を飲み続けられる大人でいたいもんだ。


怒るという機能が何故必要なのか?

今朝は朝っぱらから子どもを感情で叱ってしまった。
原因は嫁さんの起こし方に腹を立てていた所に、飯も食べずにチョロチョロと遊んでいたからだ。
怒られる理由というほどでもないから突然怒られて凹んでいたチビには、後からさっきは怒って御免と素直に謝ったが悪い事をした。
2才児には怒られた記憶しか残らないだろう。。
親の顔色を見て育つような事がないよう、その辺りは五歳頃に機会を作って教えようと思う。
私は怒っているときはその場を離れ、自分が感情的になった原因を探ることにしている。
私の感情を害した要因は大きく3つだろう。
一つは、寝起きにいきなり嫁さんが感情的に愚痴ったからだろう。
寝起きぐらいは気持ちよく起こして欲しい、文句を言うにしてもタイミングがあるだろう、と思ったからだ。
一つは、自分の機嫌の悪さを人に伝播させていることに気がつかず、反省しない(けして謝らないので)ことだろう。
感情を押さえられないのは、親として未成熟である。自戒も含め、まだまだ心の修行が足りない。
もう一つは、疲れていて眠いからだろう。
ここで、何故疲れていて眠いのか、がこの一連の怒りの原因と分かったので許す気になった。
正解にそうかどうかは問題にせず、自分のなかに答えを見つければそれで怒りは鎮まる。
後は怒りの根元と思われる原因に対処し、再発しないようにすることが必要だ。
そもそも何故、嫁さんが今朝は朝から子どもや私に怒ってしまうほど機嫌が悪く、悪態をついてまで怒りをぶつけてきたか?
それは恐らく要因が3つある。怒りの感情は複合的に重なって、正に堪忍袋に溜め込まれ、子どもが服を着たがらない程度のきっかけで緒が緩み漏れ、私への怒りとして爆発した。
一つは、昨日私がクライミングジムに行ったのを洗濯物を干していて気がついたからだろう。
一昨日もその事について、軽く文句をいっていたので、私ばかり大変で旦那は夜な夜な遊んでる、という憤りだろう。これは慢性的に抱えているストレッサーで根底にこびりついて取れないだろう。
一つは、連休明けで仕事が忙しく、思うように家事ができないことだろう。
あくまでも推測だが、疲れが溜まっている原因が何かしらあるはずだ。
もう一つは、子育ての意見の相違が生じていたことだ。子どもが太陽を直視していたようで、どうやら先日私と日の出を見てからそのような行動をとっていたと思われる。
嫁さんとしては、目が悪くなり、メガネっ子にするのを嫌い、依然から思っていたことを寝起きの私に突然脈絡もなくぶつけたのだ。
確かに寝るときに薄暗い中で絵本を読んであげていたのを叱責された事もあり、私の意識の低さに憤っているのだろう。これは残念だが、相手の無知に対しての教え方が身に付いていない嫁さんの未成熟な部分であろうから何かの機会に、対処の技術として教えるべきであろう。

総じて考えると、細かな道徳的な対処よりも嫁さんのストレス発散が早急課題であろう。
子どもに感情的に怒ってしまう状態は回避すべきだからだ。
こういう時は、自分が怒らせてしまった要因を作ったので反省として、些細でもいつもありがとう、助かってるよと言葉を添えてプレゼントをあげるのがよい。家事をしてあげるでもよい。
ここで私も仕事でストレスがあったからジムで発散したのが何が悪いんだ、とやってしまうとエスカレートするし、原因が違った際にこじれるだけだ。

人間は何故怒るのか?
怒るという機能が何故必要なのか?

子どもが大きくなったら一緒に考えてみようと思う。

マラソンブームに乗りきれず、トレイルランニングにしがみついている。
単直に訳せば『走る登山』。素敵な響きだ。
山道を走るので当然木の根っ子やらで転けるし、岩肌で滑るし、木々に引っ掛かる。
熱いからといって半袖短パンでは擦り傷だらけになる。雨の翌日や朝は夜露で滑るので専用の靴が好ましい。
北鎌倉から海まで抜けられ、稲村ヶ崎温泉が終点だ。
葉山の大山から梅林や鷹取に抜けるのも楽しい。
御用邸からバードウォッチにくることもある森戸川で源流行をするグループもあるからまだまだ楽しめそうだ。
街を走るのと違いトレラン中は、動植物の変化を見る楽しみがある。しかし森戸川の上流は何故か魚がいない。

鮎と虹鱒を移植したい。ジュルル
今、里山問題が各地で起きているが、もう騒がれて10年以上経つがなにも変わっていない。
葉山の大山も岩肌が脆く崩れてしまい、川に砂が流れ出てしまう。
だから防砂ダムもあるし、補修工事もされている。
この山は後どれぐらいで崩れるのか、心配だが、何かしらやれることを探さなくては。
子どもの遊び場であり、故郷の風景を残してあげられるのは、親しかいない。
子どもとゴミでも拾いに行くかな。


海はいい。
波乗りも釣りもビーチコーミングや砂遊びも、全部絵になる。
できれば恋もしたい場所、海。
意外なことに、砂浜でBBQをする習慣がこちらの方々にはあるらしい。
ビキニで酒を飲み、砂利砂利の肉を食べて海に入るとな。うーん。
二子玉に住んでたときの多摩川の河川敷も毎週末はゴミの山で、朝にはカラスで河川敷が真っ黒だったが、逗子海岸も危うい。
海も川も タバコや細かなビニールなど直接的にゴミが魚や水質にも影響を及ぼしているが、ゴミを出しすぎる遊び方に警鐘を鳴らす必要がある。
BBQセットを丸ごと捨てて行くグループすらある。
主宰する地元民は、年に一度であっても、使い捨てないプラスチックの皿とコップぐらいは買っておけないものか。
自然の中で癒されようとして遊ぶのなら、その自然を守る義務がある。
処理しきれなくなっている自然界を、広い視野で見るべきだろう。
大量に消費する紙はアジアの国々の森林やそこで暮らしている民族を破壊している。割り箸は端切れだから使うのはいいことのように言う人もいるようだが、誰が言い始めた理屈なのかをよく考えて欲しい。
子どもにはスポーツやレクリエイションを通してこれからいろいろ経験して考える機会も与えてあげよう。
頭の固い大人達に、どう伝えるべきかが課題だろう。

山で寝袋に入ると、心が鎮まるのを感じる。
山の一部になった喜びと、自然の一部になった無防備な自分への恐怖心で身体がブルッと震えて潜る感じが堪らない。
朝は夜明け前には自然に目覚め、最高の空気と朝焼けの景色で、挽きたての珈琲が何倍も美味しくなる。
アルパインをやらないので本気でビバークするようなことはないけど、ささやかなキャンプ気分を楽しんでいる。
キャンプでもやっぱり子どもや無知の人達に伝えていかなくてはいけないルールがあるが、工夫出来ることを考えてみよう。
キャンプではやはりなるべく必要最低限の資材で生活することに楽しみの一つを見いだしたい。そもそもそんなに持ち運べない(事にしよう。)
持っていける食材を吟味して準備して、美味しいキャンプ御飯を楽しむのがいい。
御飯は精米を持って行けば鍋で炊けるし、塩で握れば昼御飯にもなる。
腐りやすいチーズやソーセージなどの食材は燻製に。
二重にした銀紙の間にチップを入れて食材をくるめば、機材がなくても簡単で、そのまま持ち運べる。

肉を塩で揉んでタレに浸けて、とか他にもいろいろあるだろうから、それは他のかたに習うとしよう。
先ずは箸やお皿ぐらいは使い捨てをやめましょうな。


基本的に自然と触れ合うスポーツが好きだが、釣りやサーフィンと同じようにクライミングはそういった面でいい趣味だと思う。
クライミングは、自然と対峙して、自然のリズムに合わせる他の趣味と少し趣向が違い、自らのテンションがリズムになる。
今やっているボルダリングは雨や湿度には左右されるが、サーフィンほどのシビアさはない。
アルパインやトレランは雪山や災害的天候でなければ全天候型とも言える。
逗子、葉山からもほど近い鷹取山にはロープクライミングでは老舗の岩場もある。

手軽さもあり、ボルダリングは流行っているが、ブームについては考えてしまうこともある。

一つはジムでのスポーツとして入るので岩場にいってキャンプすることにおいては、素人である場合も多いということ。
そもそも団塊世代の輩ほど路上でタバコを捨てたり自然を大切にしない気がする。
逆に若い世代ほど環境保護を意識する勉強や経験をしてきている。ロックフェスもいい例だ。

話が逸れたが、キャンプをする時に出すゴミの量と質は意識すべきだと思う。
暖めるだけの御飯、レトルトに割り箸と紙皿、紙コップ、肉や野菜のプラスチックトレイのゴミの山。
そんなキャンプ御飯は、あまりオススメできないことを、子どもや知らない人に教えて行く義務が私たち大人にはある。
クライマーも山に自然が無くならないように願うならば、山での食事から環境負荷を減らす工夫してみるのもよいだろう。
自戒